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なぜトップ企業は出遅れたのか?
トヨタ自動車の苦悩


ほたるが中国株を始め、自動車銘柄を研究したとき、最初に疑問に思ったことがあります。いや、中国株を始めた多くの方々が疑問に思うことかもしれません。

それは、「ホンダが中国で成功しているのに、なぜ、日本のトップ企業・トヨタの影は薄いのだろうか」ということです。

影が薄いというより、出遅れているという言い方の方が適当かもしれません。

その疑問を解消してくれるレポートが、最近、当サイトの掲示板に寄せられました。
長文にわたるレポートだったため、掲示板には何回かに書き分けられていました。
筆者(EMMA様)のご了承をいただきましたので、当研究室の重要レポートとして、ご紹介します。

題して「なぜトップ企業は出遅れたのか?---トヨタ自動車の苦悩」



6月に北京で行われた国際自動車ショー。

トヨタ自動車専務、豊田章男(48)の表情がこわばったのは、次の中国人記者の質問でした。
「5月にはいいニュースが聞けると楽しみにしていたのですが」

事実、中国第四位の自動車メーカー、広州汽車との合弁事業の許可が当初から遅れていました。

「今、政府の許可を待っている段階でございます」

創業家出身のプリンスは、答弁書を読み上げるように答えると、後は聞かれてもいない他の事業の説明を始めました。世界中の記者の前で戦略分野の遅れを正される屈辱--。章男の口調は怒りを押し殺すように早口に変わっていきました。

中国市場で欧米のライバルに大きく水をあけれたトヨタにとって、広州との合弁事業は巻き返しへの突破口。
しかも手がけるのは名誉会長、章一郎(79)の長男で、近い将来トップ就任が確実視されている章男でした。
中国事業の成功は内外の世襲批判を封じ込める意味からも失敗は許されません。
いわゆる創業家のメンツをかけた戦いです。

しかし、北米市場で大ヒットしたセダン「カムリ」を投入した広州との合弁は、エンジン製造の許可が下りただけでした。肝心の乗用車製造は、合意から一年たった7月末にようやく事業開始への第一ステップである、項目建議書の許可が出るなど牛の歩みを続けています。

乗用車需要のピークと見込まれる五輪開催年の2008年ににらんで計画した06年初頭からの生産、販売はほぼ絶望的になりました。

国内、北米市場では向かうところ敵なしのトヨタが、総力を挙げても思うようにならない事態に、あるうわさが飛び交いました。

話は日中国交回復から間もない、1978年にさかのぼります。

その年、日本に訪問したケ小平(とうしょうへい)はトヨタに中国進出を要請しました。
ところが、トヨタ首脳は「中国人がうちの車を買えるようになるまで、一体何年かかるでしょうか」と冷笑したと言います。

帰国したケ小平は、「今後30年、中国大陸でただの一台も車を造らせるな」と、怒りをあらわにして部下にそう言い渡したといいます。

トヨタはもちろんこの話を否定しますが、ケ小平の遺言説が一定の説得力を持つほど、中国市場でのトヨタの苦戦は際立って見えます。


焦るトヨタをあざわらうかのように、当初06年の予定だった独ダイムラークライスラーのベンツ生産は、北京汽車との合弁が異例の早さで許可され、生産開始が05年に繰り上がりました。

トヨタは何を間違えたのか。



ティータイム♪
 「白い猫も黒い猫もネズミを捕る猫はいい猫だ」

中国中興の祖と言われるのがケ小平です。ケ小平は現在の改革開放路線というレールを敷き、中国を社会主義市場経済に導きました。中国建国の父・毛沢東は「貧しきを憂えず、等しからざるを憂う」、つまり貧しくたっていい、みんなが平等でない方が問題だ、という考え方でした。これに対して、ケ小平は「白い猫も黒い猫もネズミを捕る猫はいい猫だ」、つまり、いいことなら、考え方はどうでもいいじゃないかと言い放って袋叩きに遭いました。合理主義者だったといえます。ケ小平は92歳、香港返還前にこの世を去りましたが、国家主席となった江沢民が改革開放路線を継承・発展させ、いまの高度経済成長があります。



6月に北京で行われた国際自動車ショー。

トヨタ自動車専務、豊田章男(48)の表情がこわばったのは、次の中国人記者の質問でした。
「5月にはいいニュースが聞けると楽しみにしていたのですが」

事実、中国第四位の自動車メーカー、広州汽車との合弁事業の許可が当初から遅れていました。

「今、政府の許可を待っている段階でございます」

創業家出身のプリンスは、答弁書を読み上げるように答えると、後は聞かれてもいない他の事業の説明を始めました。世界中の記者の前で戦略分野の遅れを正される屈辱--。章男の口調は怒りを押し殺すように早口に変わっていきました。

中国市場で欧米のライバルに大きく水をあけれたトヨタにとって、広州との合弁事業は巻き返しへの突破口。
しかも手がけるのは名誉会長、章一郎(79)の長男で、近い将来トップ就任が確実視されている章男でした。
中国事業の成功は内外の世襲批判を封じ込める意味からも失敗は許されません。
いわゆる創業家のメンツをかけた戦いです。

しかし、北米市場で大ヒットしたセダン「カムリ」を投入した広州との合弁は、エンジン製造の許可が下りただけでした。肝心の乗用車製造は、合意から一年たった7月末にようやく事業開始への第一ステップである、項目建議書の許可が出るなど牛の歩みを続けています。

乗用車需要のピークと見込まれる五輪開催年の2008年ににらんで計画した06年初頭からの生産、販売はほぼ絶望的になりました。

国内、北米市場では向かうところ敵なしのトヨタが、総力を挙げても思うようにならない事態に、あるうわさが飛び交いました。

話は日中国交回復から間もない、1978年にさかのぼります。

その年、日本に訪問したケ小平(とうしょうへい)はトヨタに中国進出を要請しました。
ところが、トヨタ首脳は「中国人がうちの車を買えるようになるまで、一体何年かかるでしょうか」と冷笑したと言います。

帰国したケ小平は、「今後30年、中国大陸でただの一台も車を造らせるな」と、怒りをあらわにして部下にそう言い渡したといいます。

トヨタはもちろんこの話を否定しますが、ケ小平の遺言説が一定の説得力を持つほど、中国市場でのトヨタの苦戦は際立って見えます。


焦るトヨタをあざわらうかのように、当初06年の予定だった独ダイムラークライスラーのベンツ生産は、北京汽車との合弁が異例の早さで許可され、生産開始が05年に繰り上がりました。

トヨタは何を間違えたのか。




1994年、正月明け。

ようやくトヨタの看板高級車「クラウン」の上海生産にめどがたちました。
合弁相手は宇宙・軍需産業を統括する国務院航空天工業部。
そのトップである部長(閣僚)がOKを出したのだから、安堵するもの当然でした。

トヨタにせっつかれて工業部は最後の詰めを急ぎました。

二月、部長(閣僚)が中南海に国家主席、江沢民を訪ね、合弁事業の概要を説明しました。
しかし江沢民の返事は素っ気なっかたのです。

「まもなく新たな自動車政策をまとめる。それに沿ってやってくれ」

発表された政策は外資の進出条件として年間最低十五万台の生産能力を課したものでした。

当時、中国政府は、貧困を根絶し人々の生活を一定水準に引き上げる「小康」政策を掲げ、失業対策に重点を置いていました。すそ野の広い自動車生産を増やせば雇用拡大が期待できます。

五〇年代に大手の第一汽車で工場長を務めた車族の江沢民は、かつての庭を自らの政策実現のてこに使いました。

前年に主席の座を射止め、基盤確立を急ぐ江沢民の野心ものぞきました。
「年間十五万台」は単なる産業戦略ではなく国家戦略でした。

当時の航天工業部傘下メーカーの生産能力は年間八千台。トヨタがいくらてこ入れしても早期の条件クリアは不可能でした。トヨタは性能や顧客サービスを売り込み打開を図ったが、工業部も主席肝入りの政策に盾突くことはできませんでした。

「部長(閣僚)、あなたのところとやっていては百年たっても許可が下りない。終わりにしよう」

こうしてトヨタのシナリオは崩れました。

それでもトヨタは最大の成長市場である上海にこだわりました。
上海汽車のワーゲンに続く第二番目の合弁相手に名乗りを上げました。米ゼネラルモーターズ(GM)とフォードも途中参戦しました。

上海市に影響力を持つ要人は同市市長から副首相に就いた朱鎔基(しゅようき)でした。

朱鎔基がキーパンソンと踏んだトヨタは接触を試みました。工業部と話が頓挫した直後、朱鎔基率いる代表団が同市と姉妹都市の大阪市を訪れたタイミングを見逃しませんでした。

社長の豊田達郎が滞在先にホテルを訪問。さらに朱鎔基をトヨタ本社に招きました。

「上海でカムリをやるつもりです」

朱鎔基はうなずきました。

しかし上海汽車の本命は世界最大の自動車メーカーGMでした。
中国にとっては、車の質より雇用につながる生産規模のほうが重要でした。

トヨタ中国部長 浅野健一(60)は、早い段階で上海汽車幹部から「トヨタは食前酒。メーンディッシュはGM」と耳打ちされていました。

トヨタはGMとの交渉を有利に運ぶための道具立てにすぎませんでした。



ティータイム♪ 宝山鋼鉄と新日鉄
 みなさんは1996年ごろ、NHKが70周年を記念して制作した日中共同ドラマ「大地の子」をご覧になりましたか?
 作家・山崎豊子氏が約300人の残留孤児を取材し、小説化した感動作です。中国残留孤児の「陸一心」(りく・いっしん)が中国人の養父母に本当の子供のように育てられるのですが、日本人ゆえに虐めや弾圧を受け様々な困難に立ち向かいながら戦後を生き抜く姿を描いた大作です。
 ほたるは、テレビで見たのですが、中国人の中にはこれほどまでにも孤児となった日本人を愛情深く育てた人たちがいるんだなあって、涙ザーザー状態。泣けて泣けて仕方ない作品でした。「日本で20世紀に制作されたドラマの最高峰に位置する作品」と評する人がいるほど感動的な作品です。
 ところで、ドラマのなかに陸一心が大人になってから働いた製鉄工場が出てきます。彼は日本に招かれ、そこで新日鉄の最新設備を学び、中国に帰国するのですが、その彼が働いていた工場が中国ナンバー1の製鉄会社「宝山鋼鉄」だと言われています。中国株投資家には有名な企業ですよね。A株ゆえに日本人には買えない銘柄ですが、もしも買えるようになったら、相当な人気を呼ぶとも言われています。現在でも、新日鉄と宝山鋼鉄は強固な協力関係を維持していて、トヨタの苦戦ぶりとは対照的です。
その「大地の子 全集」( 全6巻を収めたDVD-BOX)が発売されました。ご興味のある方は、ぜひご購入されてご覧になってくださいね。感動しますよ、本当に!



トヨタ自動車が上海生産を断念した一九九四年二月、広州汽車が合弁を打診してきました。

撤退する仏プジョーの後釜で、との申し出に技術陣は「他のメーカーの設備ではトヨタ車は造れない」と断りました。
広州はその後、ホンダと組んで中国全土でアコードの一大ブームを巻き起こしました。

曲折を経てトヨタが再び広州の門をたたくのは、それから約十年後のことです。


話を九四年の七月に戻します。

中国政府は東京・高輪プリンスホテルに日本メーカー各社を集め、自動車政策の細部を説明しました。
メーカーの幹部は配られた資料の一句にくぎ付けになります。

「中国は一九九五年末まで新規事業を許可しない」

読み替えれば、「九六年の進出ラッシュに備えて向こう一年余りで中国側の合弁相手を選べ」ということでした。

とはいっても、設備、技術水準を考えれば組める相手は限られてきます。しかも第一や東風などの大手は既に欧州勢が合弁を組んでいました。上海にふられ、広州を軸にしたトヨタは、グループ会社のダイハツ工業が技術支援している中堅の天津汽車しか残されていませんでした。

しかし、トヨタは天津はできれば避けたかったのです。そのときはすでに、主要車種「夏利(シャレード)」が不振で経営危機に見舞われていました。

この再建が合弁相手になると、かなり苦戦するのは目に見えていました。しかし選択肢のないトヨタは進出を決断します。

副社長だった和田明広(70)は天津の工場を訪ねて目を疑います。ドアがまともに閉まらない。雨漏りはする。経営危機によって人心の荒廃は極限に達していました。

和田は途方に暮れました。

天津のてこ入れと並行して合弁会社の準備も進めました。しかし現地生産比率を除々に高めながら販売網を築く「トヨタ流」はご法度でした。周辺産業の育成と雇用を重視する中国政府は、部品メーカーの同時進出を条件と課してきました。

和田は「市場の購買力を見極めながら生産を増やさないと失敗する」と訴えましたが、天津汽車も市共産党も聞く耳を持ちませんでした。

投資リスク回避の手段を封じられたトヨタは暗闇の中を全速力で走りました。

車種選定でもトヨタは壁にぶつかります。

看板のカローラを造りたいトヨタ戦略に、市共産党幹部は賛同しませんでした。

「カローラはすでに世界中に出回っている。わが中国市場に投入するのはまだ世に出てない新車種だ」
北米日本で鍛え抜いたトヨタ流の勝利の方程式はことごとく封じられました。

トヨタは急遽コンパクトカーの後部を無理やり引き伸ばしたセダンを造ります。

「こんなのはプロの仕事じゃない。だが、これをやらないと中国市場に入れない」

幹部は開発部門の尻をたたいて作業を急がせました。誇りを捨てた代償が九九年の合弁認可でした




天津汽車では苦労するのは目に見えている予感は的中しました。
一向に改善しない生産効率。トヨタは天津汽車に効率化を要請しました。落ち込むトヨタ幹部。
しかしそこに思わぬ味方が現れます。

中国自動車最大手の第一汽車でした。

第一汽車は〇二年六月に天津汽車を買収し、トヨタと包括提携を結びました。

何故第一汽車は赤字企業を救ってまでトヨタを助けたのか。
もはや国家ほどの影響力を持つといわれるトヨタ企業を、手中に収めておきたかったことだけは確かでした。

一九七二年 九月二五日、トヨタ本社近辺の工場会議室。北京空港を映すテレビに一同の視線が集まりました。

歩み寄った田中角栄と周恩来両首相ががっちり握手を交わすと、大きな拍手が沸き起こりました。

「この日にトヨタを訪れたことはまことに意義深い」

第一汽車を筆頭にした中国の視察団は、歴史の変わり目をトヨタとともに迎えたことを素直に喜び、豊田英二社長も笑顔で答えました。

五日間の視察で、後に第一汽車の副総経理の李は、徹底して品質を追及するトヨタ流に感心しました。

トヨタ幹部らも熱心に技術を学び取ろうとする第一汽車の姿勢を垣間見た瞬間でした。

しかし、これからという時に、中国は四人組事件などで内政が大混乱。八〇年代になってようやくトヨタとの交渉を再開し、中国政府は自動車生産を「支柱産業」(第七次五ヵ年計画)を定めました。

そして運命のいたずらか、トヨタの関心は他のところに移っていたのです。

日米間最大の政治問題となった通商摩擦をいかに沈静化させるかに知恵を絞っている最中でした。トヨタはドル箱の米国市場に人、モノ、金すべてをつぎ込み、中国を顧みる暇が少なすぎました。

その後、第一汽車の幹部となった李は、長春市にトヨタ幹部を招き「大陸で一緒にできませんか」と持ち掛けました。

しかし、トヨタ幹部はまたしても冷水を浴びせます。

「私は満鉄のような仕事がしたいのです」

満鉄という反感を買うような言い方は、遠まわしには「米国を相手に選んだから、交渉は無駄です」という意味でした。李はその言葉を理解し交渉は破談。これまで築き上げたトヨタと第一汽車との関係は、トヨタ自ら断ち切りました。

第一汽車との対立が、のちのちの中国国家そのものとの対立を意味することを、感じることのできるトヨタ首脳は、その時いませんでした。

自動車黎明時期の中国にとって、トヨタは間違いなくパートナーとして本命中の本命でした。
中国は惚れた相手にふられて、二十年後に運命の交渉をすることになります。


ティータイム♪ 【トヨタ自動車 中国での歩み

1964年 高級セダン・クラウンを初めて輸出
1972年 中国自動車視察団を受け入れ
1981年 長春・第一汽車で生産管理指導
1994年 上海での合弁交渉断念
       天津汽車との交渉開始
1999年 天津汽車との合弁が認可
2000年 合弁生産会社「天津トヨタ」設立
2002年 天津トヨタで現地生産開始
       第一汽車と包括提携
2004年 第一汽車と合弁でカローラを生産開始
       広州汽車とエンジン合弁会社設立



時すでに遅しなのか。
2002年に第一汽車と包括提携し、2004年に「カローラ」の生産開始をしますが、独フォルクスワーゲン(VW)の独走は相変わらずでした。

中国政府は六月、北京オリンピック公式スポンサーにVWを選びました。

一番最初に中国市場に目をつけたVWに、「世界最大の舞台」を用意し、感謝の意を表しました。

一九八〇年代。石油ショックと省エネ対策の失敗で米国市場から引き上げたVWは、外資を探していた中国自動車市場とコンタクトをとります。米国工場の設備を上海にすべて移動しました。

市場リサーチや戦略など皆無に等しく、ぶっつけ本番で進出しました。しかし、思いもかけず中国市場は反応し、あっという間に販売網を広げていきました。

VWの成功は、全世界の利益の37%を中国市場で出していることを見れば一目瞭然のことでした。

今年の春、都内で奥田会長(71)と中国政府高官は会談しました。

「しかし、トヨタにお誘いした時、来ていただけなかった。その不信感は拭いきれません」
「出て行ける環境ではなかった。車を造るには順序があるのです」

手堅く進める戦法のトヨタより、大胆な戦法をとったVWに、勝利の女神は微笑んだのでした。

しかし、中国政府の悩みも増えたのも事実です。

百二十社を超えるメーカーが乱立する中国自動車業界。純粋な国産車の本格生産のめどがたたないのも悩みの大きな種でした。

2004年、六月に改定された新自動車政策の柱の一つである、環境対策政策。
2010年までに、燃費を03年比で15%改善すること。エンジンとモーターを併用するハイブリッド車などの開発を政府が支援します。

アルコールや天然ガスなどを活用した新燃料の開発も課題としました。トヨタは世界で最も厳しい米カルフォルニア州の基準規制に対応する実績を積んでおり、今回の基準は有利に働く可能性が非常に高いでしょう。

一国家とも例えられる世界最強集団は、今初心に戻って追撃体制を整えはじめています。トヨタの飽くなき挑戦は中国市場で始まったばかりです。

人は近場にしろ、遠方にしろ、必ず何かで移動しなければいけません。
はじめは自らの足でしたが、時は過ぎ去り、自動車なるものが出来ました。
これは、人は「時間と空間」を超えることが出来ないということを示した結果であると、私は推測します。

瞬間移動なるものが可能ならば、自動車のようなものは勿論、あらゆる大型輸送機器は存在しないでしょう。残念ながらそのような時代は当分来そうにありません。

また、自動車自体がコンパクトに折りたたまれ、小型化するにしても、道路、駐車場系は必ず必要となります。
この自動車産業分野は、非常にすそ野が広いことをいつも後で気付かされます。

特に自動車は、他の輸送機器と違い非常に魅力的な商品です。
「いかに魅力的な商品を消費者に届き続けれる企業を選ぶか」

その選択眼を磨くことが、株式市場での勝利へと導かれると私は確信します。

(by EMMA)


皆さん、いかがでしたか?EMMAさんの力作。

ほたるも、トヨタがかつて中国進出で「えらい目に遭った」という話は聞いていました。しかし、このレポートを読むと、トヨタと中国当局との不幸な歴史がよく分かります。

ただ、トヨタが今後、中国市場を黙って指を咥えて黙視しているとは思えません。いずれ、相当なヒト、モノ、カネを投入し、巻き返してくるのではないか、と思われます。

それはいつごろなのか。そして、ホンダのデンウェイのように日本人も購入できるトヨタ銘柄が登場するのか。
中国株投資家にとって、トヨタの動きは数年、目が離せませんね♪


オススメです

「中国株二季報 2005年夏・秋号」
日本株でいう「四季報」に匹敵する「二季報」の2005年夏・秋号が発行されました。この種の本はいくつか発行されていますが、香港、上海、深セン各市場の上場企業を研究するのには一押しです。何よりも見やすく、データーが整理されています。しかも、解説も的を得ていて中国企業を分かっている人が書いているな、という感じがします。割安株はどれか、自分で研究したうえで、投資したいという中国株投資家にとっては必携の一冊です。

. 「一目でわかる 中国有力企業と業界地図」
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主な目次は以下の通りです。
序章 中国経済と中国企業の現在 第1章 家電業界 第2章 自動車業界 第3章 IT業界
第4章 通信業界 第5章 エネルギー業界 第6章 銀行・保険業界 第7章 食品・医薬品業界 第8章 流通業界
第9章 運輸業界 第10章 コングロマリット・不動産業界

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