GROUNDER外伝−MOON−

「いらっしゃい!」
威勢のいい声が夜空の下で響く。
ここはカイゼルランド城の城下町。
その裏通りにある屋台の蕎麦屋である。
暖簾(のれん)をくぐって入ってきたのは二人連れ。
一人は長身でがっしりした体格の、いかにも軍人といった風貌の男。
そしてもう一人は背丈からして子供だろうか?
ローブのフードを目深に被っている。
「ラウンツェルさんにセリオスさんじゃないですか!
さぁさぁ座ってください。
ラウンツェルさんはいつものでいいですね?」
「あぁ。セリオスは?」
ラウンツェルと呼ばれた長身の男が答える。
「拙者はかき揚げ蕎麦の卵入りをお願いするでござる」
古風なトウホウの方言で答えたのはセリオスと呼ばれたフードの人物だ。
「かしこまりました」
店主は蕎麦を茹で始め、二人連れは席に着く。
そこでセリオスが被っていたフードを脱ぐ。
と、そこにあったのは……。
切れ長の目。
ぴんと立った2つの耳。
口元から横に伸びる立派な髭。
顔全体を覆うふさふさした体毛。
それはまさに猫の顔であった。
よくよく見ると、ローブから覗いている手(いや、前脚と言うべきであろうか?)
にもびっしりと毛が生えており、手のひらには半球状の肉球がある。
そう、彼は人間ではなくフェルプールだったのだ。
―フェルプール―
猫人とも呼ばれる古の種族で、すでに絶滅したと言われている。
身長は150センチメートル程で、その姿は直立歩行する猫そのものである。
しなやかな体躯と高い知能を有し、また魔法にも精通している。
過去には人間社会と交流があったそうだが、
すでにその記録すらも残っていない。
しかしそんな珍客にもかかわらず、連れのラウンツェルはもちろん、
蕎麦屋の店主もいささかも驚いた様子がないところをみると、
どうやらセリオスという猫人はこの店の常連らしかった。

ほどなくして蕎麦が茹で上がり、ラウンツェルとセリオスの前に
湯気の立ち上る丼が出される。
「お、来た来た。そんじゃいただきます」
「いただきますでござる」
ぱちん、と割り箸を割って蕎麦を食べ始める2人。
「う〜ん。やっぱしここの”トリプルきつね蕎麦ねぎ特盛り”は最高だな」
満面に笑みを浮かべてラウンツェル。
「バルト殿はいつもそればっかり食べてござるな…」
自分の蕎麦をすすりながら、やや呆れ顔のセリオス。
肉球つきの手は驚くほど器用に箸を操っている。
「なにいってるんだ、セリオス。
甘辛い味がしっかりと染み込んだ油揚げ!
シャキっとした歯応えとピリッとした辛みの葱!
そしてコシのある手打ち麺!
この世にこれ以上のメニューがあるものか!?」
「はぁ、そうでござるな。
でも拙者は今日はかき揚げと卵が食べたい気分でござるから…」
「う〜む、これの良さが分からないとは残念だ」
思わず立ち上がって熱く語っていたラウンツェルが
すごすごと席につき、自分の蕎麦を食べ始める。
「しかし、セリオス。お前は相変わらず”ござる”口調だな。
まだ直らないのか?」
「誰のせいだと思ってるんでござるか。
だいたいあれは拙者がバルト殿に初めて会ったときに…」

そう、あれは10年程前の出来事。
バルト・ラウンツェルは辺境の深き森の中でセリオスと出会った。
母国を捨て、あてなく放浪していたバルト。
何かの事故で魔界から人界に来てしまったらしく、
人間の文化も言葉もわからず途方にくれていたセリオス。
二人は共に旅をすることになった。
1年半の旅の中で、バルトはセリオスに少しずつ人間の言葉を教えた。
ただしそれは世界標準語ではなく、古代トウホウの方言…。
セリオスが言葉を自由に使いこなせるようになった頃、
二人はカイゼルランドに流れ着いた。
そして、ここの国王に客将として迎えられることになったのだ。
このときになってセリオスは、自分が教えられた言語が
世界標準語ではないということに気付いた。
だが、すっかり身に染み付いた方言は、
もはや抜けなくなってしまっていたのであった。

「…しかしバルト殿には見事にかつがれたでござるよ」
「まぁいいじゃないか。方言とはいえ人間の言葉に変わりはないんだからよ」
「それはそうでござるが」
それからは他愛ない雑談を交えながら二人の夕食が続いてゆく。
そしてセリオスが2杯目、バルトが3杯目のおかわりをしたところで。
「そういえば最近、バルト殿の命を狙う輩が
この街に入り込んだそうではござらぬか。
こんなところで悠長に蕎麦なんか食していて大丈夫でござるか?」
「なーに、大丈夫さ。いざとなったらひさめちゃんが守ってくれるさ」
「されど、今宵は雨は降りそうにないでござるよ」
「う〜ん、そりゃ困ったなぁ」
などと全然困っているようには見えない表情で応じ、蕎麦をひとすすり。
それからおもむろに空を見上げる。
「それにしてもいい月だな」
「見事な半月でござるな」
「月は二つの顔を持つ。
太陽に照らされ光輝く顔。
闇に沈み息を潜める顔。
それは二つにして一つ。
一方なくして他方の存在はありえない。
それは人もまた然り」
「バルト殿、詩人でござるな」
「そんなに誉めるなよ、照れるじゃないか」
「いや、誉めてるわけではござらぬが」
「く〜、冷たいなあセリオスは」
そんないつもと変わらないやりとり。
奇縁から出会い、種族の違いを越えて10年間続いてきた二人の友情。
それを月はただ見守りつづけていた。

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シャー。シャー。シャー。
薄暗い部屋に摩擦音が響く。
ここはカイゼルランド城の4階、その南東の隅に位置する部屋である。
そこには濡れた砥石に鋼の刃を当て、
丹念に研いでいるの少女の姿があった。
窓から差し込む微かな月光に照らされたその顔に表情らしい表情はなかった。
ただ己の愛刀”影月(えいげつ)”に心を注いでいた。
と、不意に澄んだ音が辺りを満たす。
りーん。りーん。りーん…。
鈴の音にも似た響き。
その源は少女の手にする刀であった。
悲しそうな、寂しそうな調べ。
それはまるで、何かと共鳴して、互いに呼び合っているように思えた。
少女―ひさめ―は虚空に浮かぶ上弦の月を見上げて呟く。
「……月が…呼んでいる」
そして刀を鞘に収めると、いつもの仕事着に着替え静かに部屋を後にする。
いつもと違うのは雨が降っていないことだった。

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月下を歩く人影あり。
黒を基調にした衣装を纏ったその者は、
シルエットからして二十歳前後の女性のようであった。
彼女が頭上の月を気に留めることはなかった。
ただ共鳴する刀をその手に携え、迷い無く己の道を進んでいった。
己の望みをかなえるために。

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そしてここにも月を見上げるものが一人。
「運命…か」
そう呟いたのは月光に映える美女。
物憂げな表情。後ろで纏めた長い髪。やや汚れた白衣。
遠方4騎がひとりにして人ならざるもの、霧越さやかであった。
時を知る彼女にはすべてが見えていた。
だが、彼女は何もしない。
それが自分のあるべき姿だと思うから。
「さてと、そろそろ寝るか。
明日は朝からアカデミーで講義があるからね」
そして机の上の読みかけの本をぱたんと閉じると、もう一度だけ月を眺め、
それから寝室へと階段を上っていった。
<了>

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