五剣伝−人界編−
第二話〜人と魔と〜

荒野の決闘、まさにそのものである。
ネロスが襲撃者と初めて剣を交えてから、既に一時間ほど経過している。
さすがに疲れてきたらしく、徐々にペースはおちてきている。
かたわらでじっとしている遙の表情も険しい。
夏の日差しは石だらけの赤土の大地を照らし、
絶えず動きまわる2つの影と、動かざる1つの影の主から気力を奪ってゆく。
「はぁ…」
今日何度目かのため息をつく遙。
戦いは終わらない……。

それは唐突に現れた。
今日の行程の半分を過ぎたあたりだろうか。
もう少しで荒野の反対側の街が見えてくるところである。
それはネロスたちの眼前に灰色のもやの形態で現れ、続いて人型をとった。
「探したぞ、フィールド・ブレーカー。
さぁ、そこの脆弱なるものよ、その剣をこちらに渡せ!」
そう言ってネロスに近寄ってくる。
グレー単色のそいつは、時折かすかに揺らめく。
その様子は異様であり、また儚げでもあった。
事態が飲み込めないネロスと遙。
だが無理もない。
こんな方法で登場する人間は、まずいないからだ。
「俺はハウエル。悪魔と呼ばれている者だ。
おまえたちの時間で2週間ほど前からそれを探してるんだ。
道具屋漁りの途中で魔力を感じてからな。それが分かったらとっとと渡せ。
今なら助けてやらんでもないぞ。これでも、俺は寛大なほうだからな」
人間なら口があるべき部分が言葉を放出していく。
口の中も、外見と変わらぬ灰色である。

「悪魔ですか…」
「2週間前?道具屋?もしかしてカルルの街で道具屋襲ったのはお前か?」
人間たちに脅えた様子はない。いつも通りのマイペース。
むしろハウレスにとっては、彼らが自分を嘲笑っているように思えて 少し腹が立つ。
―人間の分際でふざけやがって―
「それがどうした?
あのときは楽しかったぞ。愚かな人間どもを切り刻めてな。
おまえらも、すぐにお仲間にあわせてやる」
それを聞いたネロスの目つきが変わる。
「そうか、お前だったのか。あの時給料が出なかったのはお前のせいなんだな。
俺の生活をめちゃめちゃにしやがって、
300リオーネの落とし前はつけさせてもらうぞ!」
「それは怒るポイントが違うんじゃ…」
遙のツッコミに耳を貸さず、バスターソードを抜いて一歩踏み出す。
「貴様の生活だと?過去の業も知らずにいい気なものだな。
そいつは、貴様等を肉塊に変えてから、頂くとしようか」
無から現実空間に出現した無骨なロングソードはグレーの右手に収まる。
赤い風が吹きぬけた刹那、2本の剣は甲高い音と共に、交差する。

穏やかな日差し、緑の芝生、静かな木陰。
「馬鹿が騒いでいますよ、ファー君」
「ほっとけ。どうせ馬鹿だ、すぐに死ぬ」

無限を思わせる時間に終止符を打ったのはネロスだ。
後ろによろける振りをして、敵の追撃を誘う。
そして、迂闊な敵は下段からの斬撃に両断された――かに見えたが…。
岩石を打ち付け合ったかのような鈍い音とともに、
弾き返されるバスターソード!
灰色の物体の胴体には、いつの間にかプレートメイルが装備されていた。
暗いシルバーの鎧は悪魔の体に溶け込んでおり、見分けがつきにくく、
胸部に埋め込まれている宝玉だけが妖しく光芒を発している。
先程と同様、虚空から取り出したようだ。
「ハハハ…、さすがのフィールドブレーカーでも、
人間の手では魔界の鎧は砕けんようだな。
だがこれだけのダメージを生み出せるとは…ますます欲しくなったぞ」
対して、ネロスは珍しく動揺していた。
やはり彼と言えども、人外なるものとの戦闘経験などあるはずもない。
「つべこべ言わずにかかってこい。
今度こそガラクタの鎧ごとぶった斬ってやる!」
「まぁ、落ち着け、お互い少し疲れただろう。
ここらで休憩を入れようではないか、脆弱なるものよ」
「休憩だと?」
はっきりいって、全く予想外の言葉だった。
ネロスならずとも、優位を確認した敵の猛攻を予想する場面である。
「そうだ。その間に俺が魔界にまつわる昔話をしてやろう。
人界ではめったに聴けるものではないぞ、心するがいい。
―はるか昔、今の魔界と…」
この時に遙は、2つの事に気がづいていた。
語り始めた時に、悪魔が一瞬笑ったように見えたこと、
そして語り出してから周囲の雰囲気が微かに変わりだしたこと…。

大木にもたれ掛かる二つの人影。一つは白く、もう一つは黒い。
「馬鹿が語ってますよ、ファー君」
「ほっとけ。どうせ馬鹿だ、大した話ではあるまい」

はるか昔、今の魔界と呼ばれる場所に全ての生物は生きていた。
地下に穿たれた巨大な層状空間で、
最上層に微かに光がが射し込む以外は光のない世界だ。
最下層に到達した者はなく、底に何があるかは分かっていない。
ただ、この世界にあまねく充満している魔的要素は
底から湧き出しているといわれている。
そして、魔的要素の濃いこの世界では、人も動物も少なからず
魔力を生まれながらに持っていた。
魔力とは周囲の魔的要素から、自分に有益なものを取り出してコントロール
する力で、”魔法”を使う力と言うことも出来る。

ここで人間は、知恵というもので他の生物を制していった。
その中でも賢き者、強き者ほど上の層に住んだ。
下層では強力すぎる魔的要素に体がもたないため、
弱き者ほど下へ、下へと追いやられていき、そこで滅びていった。
一方、賢き者たちは脳を魔法で活性化させることにより更なる知識を得、
科学の力を発展させていった。
そして彼らは最上層の上と、層状世界の側面が時空的に断裂しており、
ここから外に出られないことを発見したのだ。
転移魔法による外界捜索が始まったのはそれからだ。
多くの者が命を落したが、
”時空の流れが見える”という特殊な能力のあった僅かの者は
次元の狭間の向こうにある別の世界―今の人界―に辿り着いた。
そこは陸と海があり、何よりも光の溢れる所だったのだ。

移住計画はすぐに始まった。
まず、最上層に時空航行艦を造り、下層の者にエネルギープラントを
建造させた。下層の膨大な魔的要素をエネルギーに変換して、艦を
飛ばそうというのだ。
乗艦できるのは最上層に住む者の、それもほんの一握りだったが、
それ以外の者には新世界の様子は知らされておらず、
「上の者が減れば、自分がそれだけ上に行ける」と思っていたので、
別に気にもしなかった。
だが、計画はそれだけではなかった。
飛び立った航行艦は、残った世界に最上部から攻撃を下したのだ。
自分たちの後を追わせない為だ。
この艦の主砲は、神が封印されていると言われる破剣ストラトス、
通称フィールドブレーカーと呼ばれるものであり、
1メートル程の刀身から放たれた一撃は無数の層を全て貫き、
まだ見ぬ最下層まで達した!
そして彼ら―今の人間―は新世界へと消えた。

残された世界は悲惨そのものだった。
殆どの者は破剣の一撃で各層の地表ごと消し飛ばされ、
世界も、中心の大穴の周りに僅かな面積しか残らなかった。
大穴から沸き上がる強烈な魔的要素の為、さらに多くの者が死に、
または、大穴に吸い込まれていった。
弱肉強食時代を経て、新たなる秩序が生まれるには長い年月がかかった。
最上2層に住むものは自分たちを”天使”と称し、
それ以外の人と動物をまとめて”悪魔”と呼んだ。
また、上層2層を”天界”、それ以外を”魔界”としたのだ。
彼らは小型ジェネレーターの役目も果たす白き翼を、自分たちの象徴として纏い、
飛び立った人間への恨みも込めて悪魔たちに圧政を敷いた。
さらに、人界に悪魔を送り込んでは殺し合いをさせ、
神の遣いを装っては人界の人々を惑わせ、うさを晴らしていた。
人界に残る怪物退治や天使目撃などの逸話には、こういう背景があったのだ。

そして今、魔界支配者ローウェンが密かに反乱を画策する…。

「―そして今、ローウェン様が立とうとしているのだ。
…どうだ、少しは自分たちのことが分かったか?」
時折、人間や天使への憎悪を顕わにして語っていたハウエルは、
最後には嬉々として長い長い話を締めくくった。
「ふーん。お前のお伽話何かどうでもいいが、
要は俺の剣が欲しいんだろ。なら、とっととかかって来な!」
―何言ってんだ、こいつ?頭がおかしいんじゃね〜か?―
あまりに突拍子もない話であり、思わず呆けていたネロスと遙だが
慌てて集中力を取り戻す。剣を構え直す、ネロス。

それに対する返事はひとこと…
「アイフラ…アブルル!!!」
地獄の底を抉り取るかのような声で紡がれる呪文。
それに呼応して、悪魔ハウエルの左手に強烈な殺気が収束していく。
殺気―魔的要素―はすぐさま直径3メートル程の火球と化し、
有無を言わさずネロスへと叩きつけられた。
轟音とともに爆裂する火球は赤土の大地を震わせ、
その爆風は砂塵と強烈な熱気をはらんで辺りを隈なく吹き荒らしていく。
爆心の様子を覗うことはできないが、
おそらく想像通りの光景がそこにはあるのだろう。

「やはり…」
吹き付けてくる風に耐えながら、遙はようやく全てを悟った。
奴は無駄話をしている間に、少しずつ魔力を貯えていたのだ。
そして周囲の気配が動いていたのは、
魔的要素をゆっくりと収束させていたからに違いない。
だが、もう手後れだった。
僅かの間だったが、旅を共にしたネロスは直撃を受けた。
彼との旅は決してつまらないものではなかったのだが…。
「もっと早く気づいていれば…」
自責の念は徐々に増していくが、それはやがて決意へとかわる。
残った自分のするべき事は、もはや一つしかない。
いつになく真剣な瞳で愛刀に手をかける。
「せめて仇を討ってあげますよ、ネロス」

が、砂塵が収まった時に状況は一変した。爆心で人影が動いたのだ!
その人影―ネロス―は、体中に大火傷を負い、皮膚もただれたりしていたが、
バスターソードと先祖のライトアーマー、そして鋭い眼差しだけは失っていなかった。
あとかたもなく消し飛ばされたかに見えた彼は、何故か生きていた。
それでも剣に頼って身を起こそうとし、再び地面に倒れ込む。

「しぶとい奴め」
今日はどうも思い通りに運ばないことが多すぎる。
だが、もう一撃だけ魔法を放てば全ては終わる。
フィールドブレーカーさえ手に入れれば、もはや天使も悪魔も敵ではない。
そんなハウエルの脳裏に、ただの人間である遙のことなど
1ミリグラムたりとも浮かんではいなかった。
一方、遙のほうは作戦変更を余儀なくされた。
相討ちでもネロスの仇を討とうと思っていたが、
ここへきて、二人で生き残る道を探さねばならなくなったのだ。
しかし人間、追いつめられるほど良策が浮かぶもので、
遙はこの時、忌まわしき悪魔を撃退できそうな気がしてきた。

「ちょっと待ちなさい!」
遙の声に、灰色なりし者は魔法の構えを解く。
「雑魚に用はない」
「なら雑魚に殺されるといいでしょう!」
突進する遙の刀は、鞘という呪縛から解き放たれてたちまちハウエルをかすめる。
だが、相手の反撃は剣を交えずにかわし、時折思いついたように
刀を振る姿は明らかにいつもの遙ではなかった。
調子に乗ったハウエルは次第に剣速をアップさせて遙に斬りかかる。
残忍な笑みを浮かべながら、獲物を確実に死へと追い立ていくかのように…。
しかし、それこそが遙の作戦だったのだ。
巧みに魔法を発動させることを阻み、同時に奢らせることにより
剣だけで十分勝てると思い込ませるのだ。
そして、必殺の斬撃のチャンスを覗う。
―あの鎧だと、一回位しか刀がもたないだろう―
相手の装甲強度を見極めることも怠らない。
剣を交えようとしないのも、もちろんこの為だった。
そして、ハウエルの横薙ぎが空を切った瞬間、
遙の愛刀はシルバーメイル上に美しき弧を描いて走り抜けた。
先程のネロスの斬撃と全く同じ太刀筋だ!
すなわち、フィールドブレーカーによる傷を正確になぞったのである。

重々しい金属音ののち、遙の刀は粉々に砕け散る。
照り付ける太陽光を反射して舞う鋼鉄片には、
なにやら形容しがたい妙な美しさがあるように思われた。
「くっ。やはり、一回が限界だったか」
その落胆する様子に、ハウエルは悦に入った笑いを放つ。
「ははははは…。所詮は雑魚よ、思い上がり甚だしい人間め。
魔法もなければ、優れた武器もない。そんな奴が悪魔たる我に
闘いを挑むとはな。馬鹿め、俺の鎧を破れるとでも血迷っ……」
痛みが彼に襲いかかったのはその時だ。
見ると、自慢のシルバーメイルには亀裂が入り、
そこから血が滴っているではないか!
その赤は、徐々に勢いを増して外へと流れ出してくる。
―人間の分際で俺に傷を負わせやがって。しかも通常兵器で…―
もはや沸き上がる憎悪を隠しもせず全開で吹き出し、
小賢しい人間どもを完全消滅させることを無言で宣言した。

遙は既にネロスの元にひざまずいていた。
近くで見ると一層痛々しい姿に変わり果てている。
だが不思議なことに、火炎による傷は前面より背面の方がひどい気がする。
「ネロス、剣を借りますよ」
そう言って彼の手から剣をもぎ取ろうとするが、
ネロスは逆に剣を無意識のうちに強く握ろうとする。
ふと目を開く。
「ありゃ?」
「ネロス、剣を貸して下さい。奴は私が追っ払いますから」
少々寝ぼけ気味のネロスに再び言い聞かせる遙。
だが、次第に状況を把握していったネロスは、きっぱりと言った。
「だめだ。俺の獲物は俺が仕留める。これは遙にも譲れねぇな」
「何言ってるんですか、そんな体で…」
「うるせえ!300リオーネ分斬りつけてやらなきゃ気がすまねえんだよ」
止めなければと思いつつも、内心ほっとする遙だった。
―あぁ、いつものネロスだ―
ところが当のネロスは、口ではそんな事を言っているが
実際は全く別のことについて考えていた。

昔、じいさんはこう言ってたな。
『いつかこの世界に嵐が吹き荒れる時、人ならざるもの降臨す。
王都は邪(よこしま)なる力に滅し、恐怖は全てを閉ざす。
神の宿りし剣、天空に昇りて、光を放つその日まで。
そして、剣の封を破るは人なり!』
それから、
『王都にゆけ。そこに大いなる光あらん』
あれは、この剣と鎧を渡された日のことだったはずだ。
そしてあの言葉…。

人間どもを速攻で殺してしまおうと思っていたハウエルだが、
どうも周りの気配がおかしい気がしてきた。
破剣を持っている方が起き上がって呪文を唱えはじめたのだ。
そして、魔的要素がそこに向かって急速に集まっている。
そのスピードは悪魔であるハウエルさえも驚くほどである。
やがて強大なエネルギーは、フィールドブレーカーに収束し、破裂した!
網膜を焼く白き光芒の中に浮かびあがってきた剣は、
以前よりひとまわりほど小さくなったように思われる。
そして…圧倒的な威圧感がそこにはあった。

「ネ、ネロス、今のは一体…」
「いや、じいさんに昔聞いた言葉でな。
”人ならざる者”に会ったら唱えろって言われてたんだが…」
当事者のネロスでさえ予期せぬ事態である。
突然、剣が弾けて、そして中から新たな剣が出てくるとは…。
それは一体何を意味しているのか?
じいさんの昔話と何か関係があるのか?
疑問は尽きない。だが一つだけはっきりしたことがある。
何故か知らないが、この剣があれば誰にも負けないような気がするのだ。
目の前の悪魔にさえも。

鳥と戯れれている火王。目を閉じている水王。
「馬鹿がしでかしちゃいましたよ、ファー君」
「…余計な仕事を増やしやがって…」
ふっ、と虚空に消える二人。
空はひたすらに青かった。

剣を杖がわりにして立ち上がるネロス。多少よろけながらも剣を構える。
もう遙は止めない。ネロスの自信のようなものを読み取ったからだ。
ハウエルは腰を落して右手を前に突き出す。殺気が再び収束しはじめる。
フィールドブレーカーから漂うただならぬ気配を感じて
やや焦っているようにも見える。
―奴は一体なにをしでかしたというのだ?
この気配、とんでもないぞ。…ええい、忌々しい人間め!―
おぼつかない足取りながらも全速力で駆けるネロス。
右手を頭上に掲げ、やはり直径3メートルの火球を形成してゆく。
収束にかかる時間が先程よりはるかに早い。やはり手を抜いていたのだ。
敵の数メートル手前で、不意につまずくネロス。地面に倒れ込む。
「アイフラ…アブルル!」
その声と、ネロスが無我夢中で剣を振るったのはほぼ同時だった。
そして再び大気を引き裂く轟音が辺りにこだまする。
このとき、遙ははっきりと見た。
火球がネロスの前で真っ二つになり、後方の左右の地面に突き刺さる様を。
そう、フィールドブレーカーが魔法を両断したのだ!
さらに剣から伸びた白光の刃は、数メートル離れた灰色の悪魔の体をも捉え、
それを鎧もろとも切り裂いた……音もなく。

「ば、…馬鹿な。人間ごときが封印を解いたというのか…
フィールドブレーカーの…」
胴から下を寸断されても死なないのが、さすが悪魔というべきか。
それでも致命傷に変わりがないらしく、弱々しい口調でありったけの呪詛を
を撒き散らすと、出現したのと同じ方法で虚空へと去る。
水王と火王が出現したのは、ちょうど入れ違いのタイミングだった。
「なぁんだ、終わっちゃったのか、つまんないな」
「馬鹿は逃げたみたいだな。お前、消してこい」
それを聞いて火王ヴァルーガの表情がぱっと明るくなる。
「じゃあね、ファー君」
そしてすぐに姿を消す。
それを確認すると、水王ファウストを静かに口を開く。
「…面倒なことをしてくれたな、人間ども」

あそこからどれほど離れただろうか。
深い森の中に出現したハウエルの上半身は、どさりと地面に転がった。
この傷では魔界まで転移するのは難しいだろう。
さりとて、魔的要素の希薄な人界では回復するのにどれほどの時間がかかるか
見当もつかない。とにかく当分はここを動けない事だけは確からしかった。
やはりフィールドブレーカーはどんな者でも最強にしてしまうのか?それとも…
「俺が甘かったとでもいうのか…?」
ふと目に何かが映る。
白いローブとほんの僅かな気配を纏った人影、火王ヴァルーガだ。
常軌を逸する実力があると言われながらも、
その行動から悪魔の中でさえ異端視されている2人の片割れである。
「やってくれましたね、君。ローウェン様の話を盗み聞きしてたなら
”フィールドブレーカーに手を出すな”ってことも知ってたはずですよね。
あれの封印が一つでも解ければ、その圧倒的な魔力のせいで
天使たちに在り処がばれちゃうってことも。
天使の手に渡れば、今度こそ魔界が消滅しちゃうでしょうからね。
それなら持ち主を殺して奪い取るべきだったでしょう?
もう一つ。君はローウェン様のためと言いつつ、あれを自分で使おうと
思っていたでしょう。あれがあれば自分は無敵だなんて…。
そういうのを”裏切り”っていうんですよ。
さらに個人的に一つ。弱いんですよ、君は。
人間に負けるなんて悪魔の恥ですよ。生きてる価値もない」
そういうヴァルーガはいつも通りの笑顔だ。
一方のハウエルは、恐怖と苦痛からこの世の終わりのように顔を歪ませている。
ヴァルーガの悪名は色々な所で嫌というほど聞いている。
「まっ、待ってくれ。裏切ったなん…て、とんでも…ない。
もう一度、チャンスを…、た、たの…殺さな……」
「じゃあね」
笑顔のままで、自慢の牙杖を出現させる。
杖と槍の中間くらいの長さの武器で、穂先を下にしている。
取っ手の上部には小さな円盤を中心に装飾と凶器の二つの顔を持った
無数の刃がついており、その辺りがこの武器の名前の由来となっている。
そして円盤の中心には、原色の赤の楕円形をした宝玉がうめこまれていた。
牙杖がハウエルの心臓を貫いた刹那、火王はつぶやく。
「アイフラ、アブルル!」
収束にかかった時間はほとんどゼロ、
しかもその威力はハウエルのものの比ではない。
当然である。火炎魔法の最強の使い手の称号”火王”を持つ者が使ったのだ。
純粋な焔は一瞬で木々と空気、そして哀れな悪魔一匹を完全に焼き尽くした。
延焼する森のただ中、すでに燃えるものの亡くなった爆心に立つヴァルーガは
少しも奢った様子なく楽しげに微笑んでいた…いつものように。

帰ってきたヴァルーガは、何事もなかったかのようにネロスを魔法で治療する。
直撃ではないとはいえ魔法の至近弾を2発も受けては、
さしものネロスも身じろぎしながらうめくことしか出来ないようだ。
その間、無口なはずのファウストは遥かと話していた。
遥かは、二人が悪魔であろう事を想像できたが、何故か敵意が感じられなかった。
それは長年の戦闘経験から来る勘だろうか。
ヴァルーガが一度去ったあとはフィールドブレーカーを話題にしていたが、
今は遥かの事に移っていた。
「魔界の鎧を通常兵器で砕くとはな、人間にも多少骨のある奴がいるようだな」
「いえいえ、”刀”は普通の武器とは違いますよ。
だからこそちょっと試してみたんです。でも、もったいなかったかなぁ」
そう言いながら寂しそうに愛刀の残骸に目をやる。
ファウストほどの者になら分かる。
ハウエルの鎧が奴が持つには出来過ぎた逸品だったこと。
強度において勝るものを斬るには並外れた技量が必要なこと。
そして、魔法が使えないというハンデ…。
―なかなか面白い奴だな、こいつはいい―
「残念だったな。だが武器がなければこれから困るだろう。
しばらくはコイツを使ってな。だが、取り扱いには注意することだ」
無から現れたのは一振の刀だった。
斬り合いの為だけに打たれたものらしく、無骨な造りをしている。
柄には、場違いな感のある青いリボンがきれいに結ばれていた。
「あっ、どうも…ありがとうございます」
そのとき、治療が終わったらしいヴァルーガが立ち上がる。
ネロスも起き上がってからだの具合を確かめるように手足を動かしている。
「そろそろ行きましょうか、ファー君」
「…ああ」
そして虚空へと解けていく寸前。
「まぁ、これからは自分の身と武器は自分で守ることだな」
日は大きく傾き、もう少しで赤い大地に赤い夕焼けが映し出されるところだった。

「よかったんですか、ファー君?残霧をあげちゃって」
「俺には魔剣エブライムがある。残霧などはただの拾いもんだ。
あれで、中級程度の天使なら奴等から破剣を奪うことはできまい。
俺はお前と違って、雑魚の始末なんか御免だからな。
それに遙という奴、手合わせしてみると面白いかも知れん」
「おせっかいになりましたね、ファー君」
「…ふん」
次元の狭間を飛ぶ2人。魔界最凶といわれるコンビの前に障害など無い!

予定では夕方に着く予定だったが、すっかり遅くなってしまった。
すべては昼間の、予期せぬ悪魔来襲が原因である。
月明かりの中を歩く二人の前に、ようやく街の明かり見えてくる。
「しかしなぁ、遙。いいのか、悪魔の武器なんかもらって?
呪われてんじゃないか。だいだい奴等は人間に敵意を持ってんだろ?」
「そんなこと言ったってしょうがないでしょ、刀が砕けちゃったんだから。
それに、切れ味凄そうですよ、これ。
…だいたい、ネロスが初めからフィールドブレーカーとやらを
全開にしとけば、すべては丸く収まったはずなのに」
「うるせえなぁ、女装野郎!あの灰色馬鹿が強いようには見えなかっただろ?」
「ああぁぁぁ、またそんなことをぉぉ!!だから私はぁ…」
そんないつもの会話をしてるうちに街の入り口に到着する。
そしてそこには、一人の人物が立っていた。
セミロングのストレートヘアーで白いワンピースを着た17、8くらいの少女。
黒い髪は闇を吸い込んで一層黒く、白は月の光にぼんやりと浮かび上がる。
「これからしばらく御一緒させて頂きます、シェリー・クランツと申します。
ふつつか者でございますが、どうぞよろしくお願いします、ネロス様(はあと)」
「は?」
「へ?」
開いた口のふさがらないネロスと遙であった…。
<了>

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