浮遊湖

風は南風。
夏色の雲が流れてゆく。
頭上に広がる圧倒的な蒼穹。
どこまでも青く青く突き抜けてゆく。
眼下に広がる静寂の森林。
地平の果てまで覆い尽くしてゆく。
永遠を思わせる夏の風景の中、
僕の翼はゆらりと風に乗り、僕を彼方まで運んでくれる。

不意に風が交差する。
翼を照りつけていた陽が翳る。
今までの暑さが嘘のように、ひんやりした涼気が辺りを満たす。
雲が通りかかったのかと思い、上空を見上げる。
だが、そこにあったのは雲ではなかった。

浮遊湖。
それは浮遊湖だった。
空に浮かぶ巨大な水溜り、と言えばいいのだろうか。
やや緑がかった透明な水をたたえる偉大なる天空の旅人。
見る者の心に安らぎを与えてくれる美しき容姿。
どのように生まれ、どのように空へ舞い上がったのかは誰も知らない。
ただ遠い昔から悠々と大空を巡っているのだ。
…そう、風と共に。

揺らめく水面に生まれいずる漣(さざなみ)。
夏の陽射しを受けてきらめく水の飛沫。
踊りながら地上へ降り注ぐ光と水の幻想的なシャワー。
自然の織り成す透明な芸術に心が震えた。

やがて燦々と輝く真夏の太陽がその姿を現す。
浮遊湖は無言まま僕の頭上を通り過ぎていった。
僕の心に忘れがたき情景を焼き付けて。
地上に恵みの水をもたらしながら浮遊湖は旅を続けてゆく。
浮遊湖は決して枯れることがない。
空から舞い降りた水は森を潤し、大地を渡り、そしていつかまた空へ舞い上がるのだ。
それは悠久なる命の循環。

偉大な旅人と別れ、僕はまた一人風に乗る。
まだ見ぬ”翼の楽園”へ辿り着くために。
けれど急ぐ必要はないんだ。
今は気ままな風に吹かれて大空に浮かんでいればいい。
翼の赴くまま。
風の導くまま。
あの浮遊湖のように。
<了>

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