月の獣

赤茶け、ひび割れた大地を少女は歩く。
色濃い夜気に包まれた暗き旅路を行く。
生命の器としての役割を終えようとしているこの星に、
もう生きる者の姿はない。
そんな寂寞たる世界で、ただひとり少女は歩く。

やがて少女は辿り着く。
目的の場所に。
荒野に突き立つ朽ち錆びた一本の錫杖。
それが唯一の目印。
少女が初めてこの星に降り立った場所。
そして少女が最後に足跡を残す場所。

少女はゆっくり手を伸ばし、錫杖にそっと触れる。
すると表面を被う赤錆が一瞬で溶け、
錫杖は本来の白銀色の光沢を取り戻す。
少女は改めて錫杖の柄を掴んで地面から引き抜く。
そしてそれで地面を軽く打った。

しゃらん、しゃらん。
澄んだ音色が辺りに満ちる。
それは地を越え、空を越え、天にまで届く。
そしてそれに応えるかのように、月が動いた。
いや、正確には月は動いていない。
月の上でゆっくりと立ち上がる獣がいたのだ。

猫科の大型獣を髣髴させる、力強くもしなやかな体躯。
月の大きさの半分はあろうかという想像を絶する巨体。
全身を被う眩い白銀色の体毛とたてがみ。
それはまもりの獣―。
あらゆる災厄から少女を守護するため、月の上に静かに鎮座し、
この星を脅かす存在を退け続けてきた。
この星に少女が降り立ち、最初の生命が生まれてから、
最後の生命が滅びるまでの、気の遠くなる程の永い永い時の間ずっと。

獣は一度体を反らすと、長く長く天に吼えた。
その朗々としてそれでいてどこか物悲しい響きは、
少女の合図に応えるものだが、
同時に、この星に生まれ死んでいった全ての者たちへの
哀悼の歌でもあった。

咆哮を終えると獣は、月の大地を蹴り、この星に向けて大きく跳躍した。
その間に獣の体は変化する。
外見はそのままに巨大な体躯が見る見る縮まってゆく。
そして少女の傍らに着地したときには、
体長は2メートル程になっていた。

少女は獣の剛毛を愛しげにゆっくりと撫で、これまでの苦労をねぎらう。
獣は目を細め、されるがままになっている。
やがて少女は再び錫杖を握り、獣の背に跨った。
獣は短く吼えると、死した大地を蹴り、大空へと舞い上がった。
その姿は力強く天を駆け、重力の戒めを振り切り、宇宙へと翔んでいった。

さあ、行こう。
星の彼方へ、遥かなる旅路の果てへ…。
<了>

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