からんからん。
暖かみのある乾いたベルの音が響く。
入ってしまってからちょっと後悔する。
う〜ん、やっぱり良くなかったかな?
でも、そんなわたしにマスターらしい初老の男性が
いらっやいませ、と声をかけてくれる。
続いて、優しそうな雰囲気のウェイトレスさんがやってきて、
わたしを席まで案内してくれる。
席に着いて深呼吸をひとつ。
それでようやく店内を見回す余裕ができた。
天井近くにある明り採りの窓。
そこから射し込む光が辺りを柔らかく照らす。
他の窓にはカーテンが掛かっていて、外の様子はよく見えない。
今の時間は使われてないけど各テーブルにはランプが置かれていて、
それだけでなんかいい感じがする。
観葉植物もあちこちにあってなんとなく心が和む。
そして、そんな空間の中にいるわたし。
紺色のブレザーとスカート。
白いブラウスに襟元のリボン。
これってどっからどう見ても学校帰りだよね……。
なんとなく気になって思い切って入っちゃったけど、
やっぱりやめとけばよかったかなぁ。
先生に見つかったら絶対怒られちゃうよ。
だけど店の中をもう一度見回してみると、
他のお客さんは実に多彩な服装をしていた。
私服やスーツ姿の人はともかく、袴やドレスや袈裟、
それに世界史の教科書に出てくるような甲冑を着込んだ人までいる。
そしてその誰もが、ここで過ごす時間を本当に楽しんでいるみたい。
もしかしたら誰もわたしの格好なんて気にしてないのかもね。
お手ふきと水を持ってきてくれたウェイトレスさんに
わたしはレモンティーとホットケーキを注文した。
程なくしてオーダーが運ばれてくる。
まずはレモンティー。
紅茶のことはあんまり詳しくないけど、
とってもいい香りがするのはわかる。
カップにレモンを浮かべて、砂糖も…。
う〜ん、どうしようかな?
ホットケーキもあるのに、
紅茶にも砂糖を入れたら太っちゃうかな?
でも……入れちゃえ!
たまにはいいよね。砂糖は心の栄養なんだから。
柔らかい口当たりのお茶にほのかな酸味と甘味。
なんかすごくほっとするなあ。
続いて、メインのホットケーキに取り掛かる。
温かくて甘い匂いに食べる前から心が躍る。
ナイフとフォークで少しずつ切り分けて、
クリームとブルーベリーソースをからめていただきます。
う〜ん、おいしい。すごく幸せ♪
そのあとはちょっと夢見心地のままひたすらに食べちゃった。
だっておいしいんだもん。
そして最後にまた紅茶を飲む頃には
なんだかすごく満たされた気分になってた。
お勘定を済ませて店をあとにする。
マスターとウェイトレスさんにごちそうさまと言い、
真鍮製の取っ手を押して木製の扉を開く。
少しひんやりした外気がわたしを包む。
そして目の前の光景にわたしは心を奪われた。
はじめは中世のお城。
それから茅葺屋根の家々。
深い森、異国の街並、草原、星の海…。
数え切れないほどの風景が
だんだんと加速しながら次々に移り変わってゆく。
それはやがて混じり合う無彩色と極彩色の渦となり
辺りのすべてを飲み込んでいった。
繰り返される無限の変化に軽い目眩を覚えて
わたしは静かに目を閉じた。
気がつくと、私は空き地の前に立っていた。
いつもの通学路の途中にある見慣れた空間。
剥き出しの土と濃い色の雑草だけが
柵に囲まれてひっそりと佇んでいた。
あれ、わたし何でこんなところにいるんだろ?
う〜ん、よく思い出せないや。
でも…なぜか心が軽くなったような感じ。
だからここから歩き出せる。
明日に向かって歩き出せるんだ。
赤紫色に染まる夕焼け空の下で。
どこにでもあり、どこにもない。
誰でも知ってて、誰も知らない。
ここはそんな不思議な場所。
安らぎのあるところ。
次元のはざまの喫茶店。
<了>