暖かなベッド。
その中には、寄り添うように微睡む2人の少女。
静かに窓をたたく雨音を子守り歌にして、深い眠りへと落ちてゆく。
夢見心地の意識の中で、今日一日の楽しかったことを
なんとなく振り返っている。
雨の日でも、晴れの日でも、子供はいつも楽しく遊べるのだ。
おもわず浮かぶ笑顔。
そんな幸せな日常、幸せな子供たち。
それが儚く脆いものだと知る由もなく…。
突然の轟音。
何かが盛大に爆発したようだ。
それは全てを粉々に打ち砕く、破滅の象徴。
急に雨の音が近くなったような感覚。
覚醒する意識。
そこに響いたのは、一発の銃声。
女の悲鳴、そしてまた銃声。
少女のうち1人がベッドから身を起こす。
12、3歳くらいだろうか、まだあどけなさの残る顔。
それでも、もう一方の少女よりひとまわりほど大きいので、こちらの方が姉なのだろ。
ベッドから降りると、慣れた手つきでクローゼットを開け、その奥のほうを探る。
「…お姉ちゃん」
不安そうな声は妹のものだ。
頭から布団を被り、顔を少しだけ出して姉を見る。
「大丈夫よ」
無理してちょっとだけ微笑む姉。
だが、その言葉には何の根拠もなかった。
先程の爆発音と銃声。
父と母に何かがあったのは明らかだ。
それも日常とはかけ離れたとてつもなく不吉なことが…。
そして、姉の手に握られていたものが更なる不安を呼び起こした。
鞘に収まった2尺8寸の片刃剣―姉がよく振り回しているやつだ。
両親に怒られてもめげることなく、隠されたそれを見つけ出しては
こっそりと振っていたのだ。
「いい? ちょっと見てくるから、ここにいるのよ」
優しく、それでいて否定を許さぬような口調。
妹はその言葉にうなずくのが精一杯だった。
言い知れない恐怖に身を縛られて。
姉は再び微笑むと、部屋のドアを開ける。
この時間、いつもなら両親が談笑しているはずのリビングに2人の声はなかった。
ただ、外と同じ雨が降っていた。
すでに壁も天井もなくなったその場所に降る雨は、氷のように冷たかった。
その中に進み出る姉を見て、妹は布団に潜り込んだ。もう精神の限界である。
小刻みに震える体を丸め、耳を押さえて、声もなく涙を流す。
心を閉ざし、永遠の世界へと逃避する。
彼女はもう、数10発の銃声も再び起きた爆発音も、
そして布団越しに身体を濡らす冷たい雨も感じることはなかった……。
どれくらいの時間が経ったのだろうか?
少女が目を覚ました時、雨はもう既に降り止んでいた。
雲間から覗く太陽の光はいつもの朝のものだった。
覆い被さる布団は水を吸って鉛のように重く、払いのけるのにかなりの労力を要した。
ベッドから身を起こして、周りを見渡す。
何もない。
いや、正確には建物の残骸と数体の人間の死骸が幾重にも折り重なっているのだが、
そんなものは少女の目に映ってはいなかった。
ただ―
「…お父さん、お母さん、……お姉…ちゃん…」
家族の姿はどこにもなかった。
そして、不意に体中から力が抜け落ちる。
ベッドに倒れ込む。
意識が彼方へと飛び去って行く…。
目をあけた。窓から射し込む夕日が眩しかった。
「う〜ん」
読みかけの本に突っ伏していた上体を起こし、時計をさがす。
王立図書館の調度品は、どれも落ち着いているが
歴史の重みというものを漂わせており、本たちもつの空気とよく合っていた。
壁の木製の掛け時計は4時20分を差していた。
「いっけな〜い。居眠りしちゃった!」
慌てた様子で本を閉じ、その脇にある数冊と一緒にかかえて、
ちょっと危なっかしい足取りで閲覧室をあとにする。
どこにでもいそうな読書好きの少女。
だが、彼女はそれだけの存在ではなかった…。
コンコン。
ノックの音を聞いて手をとめる。
「ちょっとまってー」
声を掛けて椅子から立ちあがる。
Tシャツにジーパン、その上に白衣を羽織った20代半ばくらいの女性。
すらっとした体格の美人で、日に焼けた茶色っぽい髪をポニーテールにしている。
長時間座って作業をしていたらしく、しきりに伸びをしながらドアを開けに行く。
かちゃ。
ドアの向こうに立っていたのは図書館にいた少女である。
先程の分厚い本の束は自室に置いてきたらしく、今持っているのは一冊だけだ。
「あっ、ひさめちゃん」
「こんにちは。さっきさやかさんに頼まれた本、ありましたよ。
『砂漠王の戦略と政治』、これでいいんですよね」
そう言って、持ってきた本を差し出す。
「ありがとう。でも、わざわざごめんなさいね、探させちゃって」
「いえ、ついででしたから。さやかさんも論文とか大変そうですしね」
「うん。でもね、ひさめちゃんのおかげでなんとか終わりそうよ。
…そうだ、私もきりのいいところだし、一緒にお茶でも飲んでいかない?
ナルーシャ産の新茶が手に入ったの」
心なしかうきうきしているように見える、さやか。
それに対して、ひさめはちょっと申し訳なさそうに答えるのだった。
「ごめんなさい。お気持ちは嬉しいんですけど、
これから出掛ける支度をしないといけないんです…」
「そっか、それは残念だわ。じゃあまた今度遊びにおいで♪」
「はいっ。だけど不思議ですよね、さやかさん。
さやかさんは魔法使いだって話ですけど、普段は学校で講義をしたり、
論文を書いたり、お茶にこだわってみたり……全然”そういう”ふうには見えませんよ。」
「ふふふ…、それでも空を飛んだり、占いをしたりしてるのよ、私。
それに、ひさめちゃんだって普段は本を読んで暮らしてるでしょ?」
「あっ、それもそうですね。遠方4騎といっても、
いつもお仕事があるわけじゃないですからね」
そしてにっこり微笑むひさめ。必然的に女の子などほとんどいない王城では、
彼女にとってさやかとの会話は本当に楽しいものなのだ。
「それじゃあ、そろそろ行きます。お茶、楽しみにしてますから。
あと、探してる本があったらまた言って下さいね〜」
ちょこっとお辞儀して出て行くひさめに、さやかはこう言った。
「気をつけてね。それから、あなたの捜し物は近いうちに見つかるわ。
って、これは魔法使いとしての占いの結果よっ♪」
部屋に戻ったひさめは、鍵を閉めると階段を上がってゆく。
そして6階の寝室に入り、南と東にある窓にカーテンを引いた。
部屋の中央にはベッドがあり、壁際の大きな本棚には綺麗に本が並べられている。
そして、窓辺にはいくつかの観葉植物の鉢が置かれ、また棚の空いたスペースや
ベッドの枕元にぬいぐるみがちょこんと座っているあたりが
いかにも女の子の部屋という感じである。
今まで着ていた緑を基調にしたジャンバースカートとクリーム色の
カーディガンを脱いで、クローゼットから取り出した仕事着に着替える。
そんなことをしながら彼女は考えていた。
「私の探してるものか……」
――私は気がついた時にはもうここにいた。ここで”お仕事”をしていた。
それまでのことは何故か全く覚えていない。
思い出そうにも、何一つとして手がかりがない。
いや、…あった。
雨の夜、刀を抜き放つとき、その瞬間にだけ何かを思い出せるような気がするんだ。
だから私はここにいる。ここで”お仕事”をしている。
いずこかに消えた記憶を取り戻すために。
そう、私の捜し物は「記憶」だった――
「ほんとに見つかるのかなぁ?」
十数分後、部屋を出たひさめは、ホワイトケープに黒のロングスカートという
いつもの仕事着であった。
左手に愛刀をさげた彼女の雰囲気は、さきほど談笑していた時のものとは
明らかに異なり、その瞳も、どこか遥か遠いところを見ているようである。
しかし「迷い」というものは微塵も漂わせてはいなかった。
「あの娘には、今までもこれからも、辛いことばかりなのね…」
ひさめを見送ったさやかは、そっと呟いた。
彼女の魔力を以ってすれば、人間の過去や未来はある程度なら見ることが出来る。
それどころか神にも匹敵する力は、あらゆる事象に干渉することすら可能とするのだ。
だが、彼女がその力を戦争のために使うことはない。ただ知識を提供するだけ。
――それがカイゼルランドの誘いを受け容れるときの条件だった。
暫くぼんやりしていたさやかだが、すぐにいつもの活発さを取り戻す。
「さーて、気晴らしに散歩でも行こっと」
そう言って、なにやら呪文を唱え始める。
掌の上に現われた魔法陣は、ライトグリーンの光芒で辺りを満たし、
天井すれすれの高さまで浮きあがる。
やがてそれは直径2メートルほどに広がり、中心から何かの物体を実体化させる。
1メートル程の細長い竹竿の先に無数の竹の枝がくくり付けてある。
そう、昔話の魔女がよく使う竹箒である。
天井から降りてくるそれを掴むと、窓へと駆け寄る。
白衣を椅子の背に放り投げ、北側の大きな窓を開け放つ。
そしてそのままベランダに出ると、勢いをつけて手すりを跳び越えた!
「やっほぉ〜〜」
5階の高さからの落下感をしばし楽しむ、さやか。
散歩前の準備運動みたいなものだと彼女は考えているようで、
いつも欠かさず自室から飛び降りているのだ。
城の裏庭の芝生は季節柄、少し枯れているが、それでも手入れは
しっかりされているようで、夏にはその緑がさぞかし美しいことだろう。
その芝生に激突するギリギリのタイミングで、彼女の体は不意に落下をやめる。
箒にまたがったのだ。
そしてゆっくりと加速しながら上昇し、
すぐに城の尖塔をも見下ろす程の高さまで登りつめた。
そこからだと、王城を中心とした広大なカイゼルシティーの全貌を眺めることができる。
太陽の最後の一片に照らされた町並みは赤と黒、光と影に塗り分けられ、
そのコントラストがとても美しかった。
そして徐々に闇がすべてを包み込んでゆくと、天然の灯かりに代わり、
人工の灯かりがちらりほらりと燈されていった。
「月夜もいいけど夕暮れもたまにはいいわね」
妙に”型”にこだわる彼女は、『魔女が空を飛ぶのは月夜だ』などと真剣に考えている。
だから当然、彼女の正装は黒ローブにとんがり帽子なのだ。
そのくせ実用主義なところもあり、普段着などがその良い例である。
以前、同僚のバルト・ラウンツェルに何故魔女なのにジーパンなのか、
と聞かれたことがある。
そのとき彼女は即座にこう答えたものだ。
『だってローブは動きづらいし、箒に乗る時に裾がめくれると恥ずかしいでしょ!』と…。
いずれにしろ、彼女の性格に関わらずに今夜は雨なのである。
だから今のうちに散歩(空の)をしておかなければならない。
氷雨が出掛ける、というのはそういう事だから…。
太陽が完全に沈む頃には、風も冷たくなりはじめた。
夕焼け空を控えめに演出していた灰色の雲が、自己主張をするようになる。
空気中の湿度も上昇しはじめ、いよいよ雨が降りそうな気配である。
そんな中、さやかは街の遥か上空を風を切って飛び回っていた。
ただぼんやりと街をみつめて。
――私の力。
生命を滅ぼすために神に創られた者。
この広い街さえも、私の魔力を以ってすれば一瞬で消し去ることができる。
だが私はそうはしない。
まだ”そのとき”ではないから。
プロウスザイデル様たち”神”は、まだ自らの封印を解いてはいない。
それに天邪様や司令や他の仲間もまだ眠ったままだ。
だから…。
だからもう少し、ここにいてもいいかもしれない。
ここで人間として生きるのもいいかもしれない…――
遥か太古の時代から、繰り返し生命を滅ぼしてきた彼女。
それは神に与えられた使命。
そしてそれを忠実に実行してきた。
…9人の仲間と主君である邪神プロウスザイデルと共に。
だが、今の彼女はいたって”普通”の生活を送っている。
四季の移ろいに、天気の気まぐれに身をまかせて。
長い長い生の時間の中、ほんの一瞬の安らぎを楽しむかのように…。
やがて降り出した雨に、慌てて城へと戻っていくさやか。
彼女を待っているのは、人間としての生活と書きかけの論文であった。
カイゼルランドの擁する4人の客将、遠方4騎。
だが、彼らが来た”遠方”がどこを指すかは定かではない。
ただ各国は、ひたすらに彼らの存在を恐れていた。
ファームスベルトのクラッシャーズ・ギルドと同等に…。
<了>