無限を渡る風

空の色が変わり始める。
闇は徐々に薄らいでゆき、やがて完全に消える。
生まれたての陽光が柔らかく世界を包む。
夜明けの風が胸にしみこんでく。
今日も静かに、朝が…きた。

長い長い旅。
果てしない旅。
背中の翼に風を受け、澄んだ大空を駆けてゆく。
世界の果てで吹くという”無限を渡る風”を求めて。
多くの人に行方を尋ねた。
多くの風に行方を尋ねた。
そして今、ここまで辿り着いたのだ。

前方に見える小さな島。
鮮やかな青空の真ん中にぽつんと浮かんでいる。
流されることなく、
縛られることなく、
ただそこに存在する。

翼に力を込めて大きく羽ばたく。
風を切って加速する。
はじめは小さな点でしかなかった島はぐんぐんと迫ってきて、
あっという間に目の前に姿を現した。
真上を一度旋回し、静かにそこへ降り立った。

それは本当に小さな浮遊島だった。
一面をやや不揃いな芝生に被われており、
島の中心には一本の名もない樹があった。
それだけ。
たったそれだけしかない島。
そして、そこには先客がいた。

樹の枝に腰掛けてこちらを見下ろしてる少女。
透き通るような白い肌に白のワンピース。
少女は軽く反動をつけ、枝からふわりと舞い降りた。

「よ…っと。…はい、何かご用?
こんなところに人が来るなんてすごく珍しいんだけど。
普段は風が通り過ぎるだけの何もない場所だよ?」
「実はその風を探しに来たんだ」
「風?」
「あぁ。……無限を渡る風を知らないか?
ここに来れば逢えると聞いたんだが」
「…無限を渡る風。
…Eternal Wind。
…空を巡り、星の海を駆け、時をも越えるという神秘の風。
うん、逢えるよ。……でもね」
「でも?」
「わざわざここまで来てくれなくても逢えたんだよ」
「…どういうことだ?」
「それはね…」

少女は軽く眼を閉じ、両手を広げる。
不意に足元の芝がさざめく。
少女の姿が陽炎のように揺らめき、
そして…ゆっくりと…風に溶けた。

「無限を渡る風は悠久の風。
あらゆる時代、あらゆる場所を旅して世界を包み込むの。
そう、”私”はどこにでもいるんだよ。
いつでもあなたのそばにいるんだよ」

風の中から聞こえる声。
温かくて柔らかい透明な声。
吹き抜ける風になんとも言えない懐かしさを覚える。
ゆっくりと、ゆっくりと心の中が満たされてゆく。
それは幼い頃に感じたものか、あるいは前世で感じたものか。
それとも日頃から無意識のうちに感じているものなのか。

「……でもね」

先程と同じ言葉。
だが、その続きは異なっていた。

「…逢いに来てくれて嬉しかったよ」

一際強い風が吹いた。
木の葉がざわめき枝が揺れる。
風は島の周りを一度だけ巡ると、大空の彼方へと飛び去っていった。
最後に一瞬、風の中にうっすらと少女の笑顔が浮かんだように見えた。

小さな浮遊島にひとり。
あるのは芝生と樹が一本。
そして時折通り過ぎる気まぐれな風。
静かに翼を広げ、風に身を委ねる。
もう探し求める必要はない。
無限を渡る風は、あの少女は、どこにでもいるのだから。
そう、今この瞬間に翼をはためかせている風の中にも。

もしも貴方が、あの少女に逢いたくなったなら。
〜耳を澄まし、無限を渡る風を聴け〜

<了>

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