僕は待っていた。
ずっと待っていた。
それは人だったかもしれないし、
そうでなかったかもしれない。
目に見えない、ありもしない何かだったかもしれない。
そして、もしかしたら目の前にいる女の子だったのかもしれない。
三日月の方向から駆けてきたその子は、
ちょっと不思議そうな顔で僕に話しかけてくる。
「君はひとりなの?」
「…うん」
「他の人たちは?」
「…みんな逃げて行っちゃった。
恐ろしいものが来る、っていいながら」
「君はなんで逃げないの?」
「…わからない。でも、何故か怖くはなかったから」
それを聞いて、少女の表情がぱっと明るくなる。
そしてきらきらと瞳を輝かせてこう提案してくる。
「じゃあ、わたしと一緒に風を見に行かない?
とっても綺麗なんだよ。」
「…風?」
「そう。わたしね、風が見えるところを知ってるんだ。
一緒にいこうよ!」
「うん!」
迷うことはなかった。
僕には恐れるものは何もないから。
失うものは何もないから。
そして、予感。
そこに行けば待っていた何かに逢える気がしたから。
どれくらいの距離を歩いただろうか?
どれくらいの時間を歩いただろうか?
とても長い道のりだった気もするし、そうでない気もする。
僕も女の子も終始無言だったが、前を歩く女の子はとても楽しそうだった。
だから僕も楽しかった。
やがて緩やかな坂が途切れると、一気に視界がひらけてくる。
海だ。
一面の海だ。
漆黒の水面に月明かりが反射して、無数の白い輝きが生まれている。
そして風。
風が見える。
夜の闇の中でも、瑠璃色の風の流れがはっきりと見えた。
揺らめき、たゆたい、踊りながら流れていく風は、
ただひたすらに美しく、それでいて儚げであった。
僕は絶えず姿をかえてゆくこの風を、ただぼんやりと見つめていた。
心地よさと、ほんの少しの懐かしさを覚えながら。
そして、ずっと待っていたものにやっと出会えたような不思議な気分。
ふと振りかえると、そこにいたはずの女の子は既にいなかった。
ああ、そうか。
あの子は風の使者だったんだ。
風の匂いを従えて、僕を迎えに来てくれたんだ。
そして風の中に還っていったんだ。
そのことに気づいた僕は、身体から心を解き放つと、軽やかに空へと舞い上がった。
瑠璃色の風とひとつになるために。
永遠なる世界であの子に逢うために…。
<了>