Shadow Shooter

したたる血。
剥き出しになった脇腹のケーブル群。
痛む右脚を引きずりながら先を急ぐ。
…もう少しだ。

頭上を配管がのたうつだだっ広い部屋を抜け、
殺風景な通路をひたすら歩く。
遠くで雫の落ちる音だけが響く。
それだけだ。他に何も感じられない。
奴もまだ仕掛けてこないらしい。

補助脳に記録されたマップを頼りに、十字路を左に曲がる。
もちろん、その先には見なれた通路が続いている。
淡いグレーの壁面には、床から1メートルぐらいのところに
ブルーのラインが引かれている。
そして一定間隔をおいてマーキングされている
「AREA 7(第七区画)」の文字。
場所によっては扉が存在することもあるが、それはこの際、関係ない。
とにかくひたすら前に進むしかない。
第六区画に辿り着かなければどうにもならないのだから。

どうも自分でもペースが落ちてる気がする。
思ったよりもダメージが大きかったようだ。
自動回避システムのおかげでなんとか致命傷だけはまぬがれてきたが、
直撃弾を数発食らっていることには変わりないのだから、まぁ、仕方がないか。
だが、頼みのシステムはエネルギー切れ間近、
ついでにこの区画では身体機能が著しく低下するときている。
こんな状況じゃ”次”はないかもな…。

満身創痍、区画的な不利、しかも俺はまだ奴の気配が読めない。
それでも死が決まった訳じゃない。
腰に佩いた刀をまだ解き放ってないからだ。
…勝機はまだある。
ま、”間に合えば”の話だが。

のこり500メートル程になったところで
本能が妙な違和感を訴える。
見れば、10メートル先の壁から何かが生えてきているではないか!
漆黒の銃を握った漆黒の腕。
それはうねうねと蠢きながら徐々にグレーの平面から這い出してくる。
間違いない、”奴”だ!!
ようやく肩まで出現した奴は、俺の所在を探してあちこちに銃口を向けている。
だが、ここで焦っても仕方がない。
壁の中に実体化して移動する奴等―Shadow Shooterと言うらしい―は、
壁から完全に出るまでは攻撃できないようなのだ。
同様に、それまではこちらの攻撃も一切効かない。
なんせただの壁になっているのだから…。
そういう訳で、勝負は奴が壁から抜け出した一瞬で決する。
僅かコンマ数秒だ。

自由が利かずに震える右腕に力を込め、何とか柄に手を掛ける、俺。
両手で銃を構え、爪先だけで壁と繋がっている、奴。
意味もなく時間だけが流れてゆく。
全身黒一色の奴は、ただじっと佇んでいる。
かろうじて人型をしてはいるが、壁に実体化するような輩だ、
それが真の姿かどうかは定かではない。
ただ、のっぺりとした顔のない姿が、底無しの気味悪さを醸し出している。

不意に奴が発砲する。高加速光子砲だ!
銃口から放たれた超光速の弾丸が微かな唸りを上げて俺に襲いかかる。
作動する自動回避システム。
だが、エネルギー切れで完全には避けきれない。
心臓を微かに外れた光弾は左肩を易々と貫き、はるか後方に消えて行く。
血しぶきと千切れたコードが辺りに飛び散る。
それでも気合で刀を抜こうとする俺。
だが、奴はもう反対側の壁に溶けた後だ。
もう一瞬あればこの状態でも斬れていたはずが、どうやら奴も馬鹿ではなかったようだ。
…ま、これでいい。今は生き残ることが優先だ。
吹き飛びそこなった左肩を押さえてまた歩き出す。

そして…ついにここまで辿り着いた。
足元の赤いラインを踏み越えた瞬間に、俺の身体が第六区画に認識される。
傷が癒えることはないが、煩わしい震えは消え、脳が活性化する。
その脳が、50メートル後方に奴の存在を察知する。
第六区画に侵入することができない奴は、やはり焦っている。
ここで仕留めなければ、しばらくは俺を追うことさえできないのだから。
先程とは比べ物にならないスピードで一気に壁から抜け出る。
俺は機能停止寸前の左手でなんとか鯉口を切り、次の瞬間に備える。
今なら勝てる!奴の動きが感じ取れる今なら…。
そして来るべき時はやって来た。
奴が完全に壁と決別するのと、俺の愛刀が鞘から放たれるのはまったく同時!
だが、命を失ったのは奴だけだ。
微かな切断音の暫く後に凄まじい轟音が響き渡る。聴覚をカットしても頭が痛いくらいだ。
奴の傷口を中心に発生した空間歪みが、辺りの物質という物質を噛み砕き、飲み込んでゆく。
もちろん奴の特異的能力を持つ身体も例外なく…。
かくして、えもいわれぬ意味不明な断末魔とともに奴は消滅した。
やがて局地的な嵐は徐々に沈静化し、第七区画と第六区画の境界領域には再び静寂が戻った。

…勝った。まあ当然と言えば当然だが。
要は、奴が壁を抜け出してから引き金を引くまでに倒せばよかったのだ。
いかな超光速の攻撃といえど、撃たせなければなんら問題ない。
そして、そんなことは身体機能を取り戻した俺にとっては造作もないこと。
ひとたび鞘から抜けば、俺の刀は空間的距離を無視して瞬時に対象を切り裂く。
つまり超光速どころか理論上、速度は無限大ということになる。
物理法則を歪める武器―それが俺の無銘の愛刀だ。
少々大人げなかった気もするが、奴には散々やられた恨みがあったからな…。

惨劇の現場は驚くほど綺麗だった。
周囲の壁が抉り取られてはいるが、血痕ひとつ残っていない。
奴の残骸は腕の一部だけ。だがこれで十分だ。
そいつを適当な大きさに切って口に放り込む。
これで、しばらくすれば奴から受けた傷も癒えるだろう。
と同時に体内で、奴の蓄積していた地形データを吸い上げ、俺の脳のマップの空白を補う。
奴の行動範囲は結構広かったようで、第七区画の情報がかなり手に入る。
だがここにも『出口』の存在は記されていなかった。

『出口』――この世界に住む者の間で語り継がれている伝説の場所。
だが、それが何処にあるのか、そしてその『外』に何があるのかは誰も知らない。
いつの頃からかその秘境を目指すようになった俺。
手がかりはまだ…何もない。
それでも俺は進み続けるのだ。
いつの日にかそこに辿り着けると信じて。

そうこうしているうちに、各所の傷が塞がってくる。
千切れたコードの束は正しく再接合され、その上に皮膚が覆い被さる。
もちろん失った分の血液やエネルギーもすでに合成されているはずだ。
これでよし、と。今度はもっと用心すべきかも知れんな…。

そして再び俺の脚は赤いラインを踏み越えた。
その先に広がる第六区画はまだマップに載っていない場所。
ここに『出口』があるかは分からない。
それどころか、ここが俺の死に場所になるかもしれない。
だが、それでも俺は進み続けるのだ。
いつの日にか俺のマップに『出口』の印を刻むために…。
<了>

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