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甲陽軍鑑
陽は美称、山の峡に語源を発するという甲斐、栄光ある軍法を語る手本とすべき鑑 という意味がこめられた江戸時代期に成立した軍学書。全五十九品からなり、信玄・勝頼二代の軍記と実録を編集したもの。武田信玄に仕えた高坂弾正昌信の残した記録を元にして、 春日惣次郎、小幡下野らが書き継ぎ、小幡景憲が集大成した体裁をとっている。 現存する最古の版元は明暦2年(1656)のもので異本も多い。 多くの実録書や軍記物に引用されている。実録部分もあり、 巻頭の「甲州法度之次第」や「武田信繁家訓百箇条」、家臣団一覧などは 原史料に基づいて実録されている。


■目次

品第一/甲州法度の次第の事  品第二/信玄公舎弟典厩子息へ異見九十九ヶ条の事  

品第三/信玄公、御父信虎公を追い出しの事  品第四/晴信公三十一歳にて発心ありて信玄と号すること  

品第五/春日源五郎奉公により立身の事  品第六/信玄公御時代、諸大将の事  

品第七/小笠原源余斎軍配奇特ある事  品第八/判兵庫星占いの事  品第九/信玄公御歌の会の事

品第十/信玄家来年の備え 前の年談合の事  品第十一/鈍過ぎたる大将の事  

品第十二/利根過ぎたる大将の事  品第十三/弱過ぎたる大将の事  品第十四/度過ぎたる大将の事

品第十五/武士諸道具の事  品第十六/侍大将より武者奉行大切の心持の事

品第十七/武田法性院信玄公御代惣人数の事  品第十八/信玄公御一代の義大概

品第十九/信玄公十九歳にて其一年無行儀の事  品第二十/信州海尻合戦の事

品第二十一/甲州小荒間合戦の事  品第二十二/甲信境瀬沢合戦の事  

品第二十三/信州平沢大門到下等合戦の事  品第二十四/山本勘助工夫ならびに信州塩尻合戦の事

品第二十五/晴信公山本勘助問答ならびに信州戸石合戦の事  品第二十六/山本勘助駿河へ行く事

品第二十七/真田弾正武略の事 信州上田原合戦の事  

品第二十八/村上義清、越後、長尾景虎を頼まるる事

品第二十九/晴信、景虎小県対陣の事  品第三十/晴信公、原隼人助を召して仰せられる事

品第三十一/栗原、小山田死去の事板垣弥次郎御勘当  

品第三十二/謙信との和睦ととのわずまた対陣の事

品第三十三/信虎公より信玄へ異見の事  品第三十四/氏真、信玄の仲悪く成る事

品第三十五/関東発向  品第三十六/相州、駿州、豆州へ進出の事

品第三十七/北条氏政、信玄と三嶋で対陣の事  品第三十八/信長公より家康へ意見の事

品第三十九/二俣城と三方ヶ原の合戦の事  品第四十/石水寺物語  品第四十一/軍法序  

品第四十二/大将三つの采配、押太鼓、相言  品第四十三/信玄公軍法の御挨拶人  

品第四十四/太刀折紙の事  品第四十七/公事の巻 上  品第四十八/公事の巻 下

品第五十/勝頼公家督の事  品第五十一/甲州味方衆、心替りの事  品第五十二/長篠合戦の事

品第五十三/武田贔屓の衆倒さるる事  品第五十四/謙信他界の後 騒動

品第五十五/富士大宮、物怪の事  品第五十六/信長家、播州後詰損う事

品第五十七/信長家老、秀吉 謀の事  品第五十八/信長甲州入り仕置きの事

品第五十九/家康、秀吉取合の事

江戸時代を通じて長く武田流軍学の基本教科書として重んじられてきた『甲陽軍鑑』は明治以後の学問的研究によって、その著者が表記の高坂弾正忠昌信でないこと、事実の記載に多くの誤りがあることが明らかとなり、その史料価値を否定され、それと同時に書物そのものに対する価値も大幅に下落してしまった。だが、本書が成立した年代は、戦国の余燼がくすぶっていた元和年間か、遅くとも寛永初年であり、高坂昌信のゴースト・ライターとみなされている小幡景憲は、動乱の世紀を身をもってくぐりぬけてきた武田生き残りのつわものである。また、信玄・勝頼在世中からの資料がかなり活用されていることも事実である。『甲陽軍鑑』には、時代の息吹きをいきいきと伝えているという意味での”史料的価値”はおおいにある。
武田信玄の政略・軍略は単に戦国末期という時代においてのみ、傑出していただけではない。その遺産は徳川の世に引き継がれて、江戸幕府の成立と強化に大きく寄与している。ある意味では、徳川三百年の”創業者”ともいえる信玄の行動と思想を学ぶための手がかりとして、やはり『甲陽軍鑑』は忘れてはならない貴重な書物なのである。
徳間書店発行『甲陽軍鑑』編訳者吉田豊氏のあとがきより