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武田信玄は1521年(大永元年)十一月三日に生まれた戦国大名である。甲斐国(山梨県)を中心に活躍し、晩年には現在のほぼ中部地方に相当する地域を支配し、織田信長や上杉謙信らと天下統一をめぐって争った。しかし、志半ばの1573年(元亀四年)に五十三歳で病死したため、天下統一はできなかったが、その戦略や政策は、信長や家康に受け継がれている部分が多くみられる。
甲斐武田氏は清和天皇を祖とする清和源氏の流れをくむ名族で、信玄はその十六代目。父親の武田信虎は甲斐国の守護だったが、当時の甲斐には武田の支族をはじめ、いくつもの独立勢力が割拠し、国内統一はなされていなかった。信玄の母は大井信達の娘で大井夫人と呼ばれている。信玄が誕生したときは、甲斐国内は混乱の最中にあった。そのため、信玄は信虎が築いた武田氏の居館、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)ではなく、大井夫人が戦乱を避けて避難しえいた積翠寺(せきすいじ)で生まれている。

■楯無鎧
正式名は小桜韋威鎧大袖付き。甲斐源氏の始祖・新羅三郎義光以来、御旗とともに代々武田家の宗家が受け継いで重宝とした。山梨県塩山市・管田天神社の所蔵であり、昭和二十七年(1952)に国宝に指定される。御旗屋と呼ばれる祠廊に安置されてきたとされ、伝えでは信玄が甲府の鬼門鎮護のため、管田天神社に奉納した。武田家滅亡後、家臣によって向獄寺(塩山市)の大杉の根本に埋められていたが徳川家康の手で改めて同神社に納めたという。兜は鉄10枚張八間の黒塗りの厳星兜であり、胴は黒塗りの平礼を小桜藍染韋を用いて毛引に威したもので、草摺りは四間五段下りの仕立て、大袖は冠板の形状が中央稜形の花先形になっており、堺粧板の八双鋲や据文金物などには花菱があしらわれた平安時代の作で第一級の工芸品。

武田信玄年表
大永 元年(1521) 11月 武田信玄誕生、幼名太郎
天文 二年(1533) 太郎、上杉朝興の女を妻に迎える
   三年(1534) 11月 太郎の妻上杉氏、懐胎死去する
   五年(1536)  3月 太郎、元服。晴信と名乗る。晴信、三条公頼の女を妻に迎える
   七年(1538) 晴信の長子 義信誕生
   十年(1541)  5月 信虎、駿河に追われ。晴信自立
  十一年(1542)  6月 諏訪頼重を攻める。9月、高遠頼継を攻めて破る
  十二年(1543)  9月 大井貞隆を長窪城に攻めて捕える
  十三年(1544) 10月 伊那に出兵、藤沢頼親を荒神山城に攻めて失敗
  十四年(1545)  4月 伊那高遠城を陥れる
 6月 同福与城を陥れる
 9月 今川義元救援のため駿河に出兵し、北条氏と戦う
10月 晴信斡旋で今川・北条・上杉三者の和成る
  十五年(1546)  5月 佐久郡内山城を陥れ、大井貞清を陥れる。是年、四男勝頼誕生
  十六年(1547)  6月 甲州法度之次第を制定
 8月 上杉憲政の兵を佐久郡小田井原に破る。志賀城を陥れる
  十七年(1548)  2月 村上義清と上田原に戦って敗れ、板垣信方ら戦死
    7月 小笠原長時を塩尻峠に大破する
 9月 佐久郡に入り前山城を回復する
10月 村井城を築く
  十八年(1549)  7月 伊那郡箕輪城を築く
  十九年(1550)  7月 小笠原長時の本拠林城を陥れ長時は平瀬城に逃げ、次いで村上義清を頼る
8〜9月 村上義清の属城・砥石城を攻める
10月 砥石城より退却、横田備中ら戦死
  二十年(1551) 10月 安曇郡平瀬城を攻略、同郡小岩岳城を攻める
 二十一年(1552)  5月 晴信の母・大井夫人没
 8月 小岩岳城を攻略
 二十二年(1553)  4月 葛尾城を攻略。村上義清、長尾景虎を頼る
 8月 小県郡和田・塩田城など攻略。景虎と川中島に戦う(第一回川中島戦)
 二十三年(1554)  5月 甲州法度之次第二ヶ条を追加し五十七条となる
 8月 晴信・義信親子、信濃出陣、佐久・下伊那郡を攻略
弘治 元年(1553)  春頃 晴信・景虎、川中島に出陣
 7月 両雄、川中島に戦う(第二回川中島戦)
   三年(1557)  2月 晴信の兵、水内郡葛山城を攻略
 7月 晴信の兵、安曇郡小谷地区を攻略
 8月 甲・越両軍、水内郡上野原に戦う(第三回川中島)
永禄 元年(1558)  9月 善光寺如来を甲府に移す。この頃、晴信、信濃守護に任ぜられる
   二年(1559)  5月 信玄、信濃松原社に祈願文を納める(信玄の初見
       夏 高梨城を攻略し、越後に侵入する
   三年(1560)   冬 本願寺および加賀・越中の一向一揆と連絡を取る
   四年(1561)  9月 甲・越両雄、川中島に戦い、信玄の弟・信繁戦死する(第四回川中島戦
11月 関東に出陣、北条氏康と共同作戦
   五年(1562)   秋 上野に出兵、信玄父子、北条氏康とともに上野・武蔵の上杉方属城を攻略
   六年(1563)  2月 信玄父子、北条氏とともに武蔵松山城を攻略
 4月 飯縄山麓に軍用路をつくり、越後進入を図る
  冬 上野に出兵、岩櫃城を陥れる
   七年(1564)  5月 上野に出陣、佐久郡に帰陣する
 8月 川中島対陣(第五回川中島戦
   八年(1565)  5月 上野に出陣、倉賀野城を陥れる
   九年(1566)  9月 上野箕輪城を攻略する
   十年(1567)  5月 上野惣社城を攻略
 8月 将士に起請文を徴し、下之諏訪神社に納める
10月 長子義信死去
  十一年(1568)  3月 北信濃に出兵
12月 駿河に侵攻、駿府城を占領。氏真、掛川に逃げる
  十二年(1569)  1月 薩捶山の北条氏政の軍と興津に対陣
 4月 家康に条目を与え、掛川城攻略を促す。興津の陣を撤し甲府へ帰る
 6月 駿河東部および伊豆に進攻
 9月 西上野より武蔵に進攻進攻
10月 小田原城を囲み、三増峠の合戦に勝つ
11月 駿河に進攻、蒲原城を陥れ、駿府を再占領する
元亀 元年(1570)  1月 駿河花沢城を攻略
 4月 駿河河東部および伊豆に進攻
 7月 信玄妻・三条氏没
 8月 伊豆韮山城を攻める
 9月 関東に出陣
12月 本願寺顕如、信玄に好みを通ずる
   二年(1571)  1月 駿河に進攻、護国寺城・深沢城を攻める
 2月 遠江に侵入
 3月 高天神城に小笠原長忠を攻める
 4月 三河に進攻、足助城を陥れ、徳川家康と吉田城に戦う
11月 海賊衆を伊勢に募る
12月 北条氏政と誓紙を交換、甲・相同盟復活
   三年(1572) 閏1月 関東に出馬し謙信と利根川に対陣
 5月 将軍義昭の内書を受ける
10月 大軍を率いて甲府を出発、遠江に進攻。10月下旬頃、二俣城攻撃を開始
11月頃 二俣城を攻略
12月 三方ヶ原の合戦、徳川・織田連合軍に大勝。ついで刑部に移り越年
   四年(1573)  1月 三河に進攻、野田城を攻める
 2月 野田城攻略、次いで長篠城に入る
 4月 信州駒場で死去