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■静岡県の城
■庵原城(いはらじょう)
静岡県清水市庵原町草ヶ谷字城山
永禄十一年(1568)、武田氏の帰城となり、朝比奈氏が守衛した。天正十年(1582)、武田氏滅亡とともに廃城となった。
■江尻城(えじりじょう)
静岡県清水市江尻町・二の丸町・小芝町)
永禄十二年(1569)正月、駿河に侵攻した武田信玄が今福和泉守を奉行とし、馬場美濃守信房に縄張りを命じて築城した。さらに元亀三年(1572)、二月にも普請を行い、山形三郎兵衛尉昌景が入城した。天正三年(1575)、武田勝頼により、親族衆の筆頭穴山信君が城主となり城の大改造を実施し、江尻を城下とする独自の領国経営を行った。天正十年(1582)三月四日、徳川の軍門に降り、江尻城は開城した。その後、慶長六年(1601)、廃城。
■大宮城(おおみやじょう)
静岡県富士宮市元城町
富士浅間神社の大宮司富士氏の拠点であったといわれている。今川氏の被官としても活躍したが、永禄十二年(1569)、武田氏の軍門に降り、以後当城は武田氏の支城となった。
■葛山城(かづらやまじょう)
静岡県裾野市葛山字富士畑
東駿一帯に勢力を張った今川氏の国人、葛山氏ほ本拠地である。葛山氏は今川義元討ち死に後、永禄十一年(1568)、武田方に服した。後年、信玄六男が葛山氏の名跡を継ぎ、葛山信貞と名乗っている。
■蒲原城(かんばらじょう)
静岡県庵原郡蒲原町蒲原字城山
戦国時代、今川氏支城の一つであった。永禄十二年(1569)十二月、今川氏を援助し、城を守備する北条勢と駿河侵攻を進める武田勢とが激戦を展開している(『甲陽軍鑑品第三十六』。その後、天正十年(1582)三月まで武田方の支城となる。
■久能山城(くのうさんじょう)
静岡県静岡市根古屋
永禄十一年(1568)、駿河に侵攻した武田信玄によって、この地にあった久能寺を他に移して築かれ、駿河湾一帯の監視と防衛の拠点とした。城主は今福父子。武田氏滅亡後は徳川方の属城となり、家康の関東移封後は豊臣家大名が城主となった。
■興国寺城(こうこくじじょう)
静岡県沼津市根古屋
北条早雲が本拠としていた城。天正二年(1574)には武田氏が支配することになるが、武田氏滅亡後は徳川家康の属城となる。国指定史跡。
■小長井城(こながいじょう)
静岡県棒原郡本川根町藤川字小長井
駿河・遠江方面への交通の要塞にあり、永禄十一年(1568)の武田氏の駿河侵攻により武田方に従属したと推定されている。
■小山城(こやまじょう)
静岡県棒原郡吉田町片岡能満寺山
元亀二年(1571)、武田氏によって本格的に修築され、徳川方に対する重要な前線基地の一つとなった。
■相良城(さがらじょう)
静岡県棒原郡相良町相良
天正四年(1576)、武田氏が築城。相良川右岸に立地し、武田氏の水軍の本拠の一つという。
■薩埵山砦(さったやまとりで)
静岡県清水市興津井上町字陣馬
永禄十一年(1568)十二月、駿河に侵攻した武田勢が今川氏を援助した北条勢に備えて築いた。
■三枚橋城(さんまえばしじょう)
静岡県沼津市三枚橋・大手
狩野川に面した要衝の地に、天正年間に武田氏によって築かれた。武田氏滅亡後、沼津城として大きな発展を遂げたために往時の規模や縄張りは明らかでない。
■賤機山城(しずはたやまじょう)
静岡県静岡市大岩・籠上・昭府町
駿河府中に本拠を置く今川氏の詰城として存在した。『甲陽軍鑑(品第三十四)』には「信玄公、駿河かごはなに、御旗本を陣取」とあり、永禄十一年(1568)十二月、駿河に侵攻した武田氏の手に落ち、以後、武田方の手に落ち、以後、武田方の属城となった。
■清水城(しみずじょう)
静岡県清水市本町・美濃輪町・清水町
駿河に侵攻した武田信玄により永禄十二年(1569)から元亀二年(1571)頃に築かれたと推定されいる。武田家滅亡後、城は徳川水軍の拠点となり、天正十八年(1590)、小田原の役に際して兵糧の集結地となっている。慶長十九年(1614)廃城となり、埋め立てられ、町屋地区となった。
■高天神城(たかてんじんじょう)
静岡県小笠原郡大東町上土方峯向
初期城主は今川氏の重臣の福島氏、のちに小笠原氏に交代したとされる。永禄十一年(1568)十二月の今川氏没落後は徳川家康の属城となり、この地域の支配の軍事的拠点となった。天正二年(1574)五月、武田勝頼の猛攻撃に遭い落城、以後、武田氏の遠江支配の軍事的拠点となった。武田氏の衰退が明らかになった天正九年(1581)三月、籠城を続けた武田方と攻め手の徳川方で壮絶な戦いを繰り広げ、再び徳川方に落ち、以後廃城となった。
■長久保城(ながくぼじょう)
静岡県駿東郡長泉町下長窪字城山
築城時期は明確ではないが、天文年間における今川氏の拠点となったという。永禄十一年(1568)の武田氏の駿河侵攻に際しては、北条方の占拠するところとなり、そののち元亀年間以降には武田方の城郭として修築を受けている。武田氏滅亡の天正十年(1582)には徳川家康が支配し、牧野氏が城主となった。慶長五年(1600)に廃城となる。
■深沢城(ふかざわじょう)
静岡県御殿場市深沢字本城
永禄十一年(1568)、武田信玄の駿河侵攻以来、相模北条氏康との衝突が本格化。元亀元年(1570)暮れから武田軍は北条綱成らが籠る深沢城を包囲した。武田家滅亡に至るまで駿河における武田方の前進拠点であった。武田滅亡後、徳川家康の支配となり、天正十八年(1590)、廃城となる。
■丸子城(まりこじょう)
静岡県静岡市丸子字泉ヶ谷
今川時代、駿河城の西の支城として重要視されていた。永禄十一年(1568)十二月、駿河に侵攻した武田信玄は重臣山県昌景うを丸子城に入れ、翌年には緒賀兵部大輔・関甚五兵衛を在藩とした。天正六年(1578)頃、武田勝頼は城将を屋代勝永に交代させている。
■持舟城(もちふねじょう)
静岡県静岡市用宗字城山
今川氏時代、駿府への侵入を押える重要拠点であった。永禄十一年(1568)十二月、駿河に侵攻した武田勢の手に落ち、駿河先方衆三浦兵部義鏡、水軍の将向井伊賀守正重らが在藩したといわれる。
■横山城(よこやまじょう)
静岡県清水市谷津二丁目字城山
鎌倉期より、この地を根拠とし、戦国期、今川氏の重臣であった興津氏代々の居城である。永禄十一年(1568)十二月、駿河に侵攻した武田信玄は横山城を攻略後、穴山梅雪を城将として修築を加えた。甲州への街道筋を押える支城の一つとして重要視された。天正十年(1582)、廃城となった。
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