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信玄の合戦
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武田軍旗


高白斎記

別名「甲陽日記」延享2年(1745)の奥書をもつ写本が一冊あったが焼失明応7年(1498)の武田信虎の誕生から天文22年(1553)の武田義信の名乗祝儀までの記事が収録されている。この写本は大正初年に発見されたもの。内容を検討した結果、信玄の側近駒井政武の日記で柴田仲助が先祖栗原氏の日記と偽って「甲陽軍鑑」などを参考に関係記事を挿入し改竄したものと断定される。記事内容は信憑性が高いが、個人日記というよりも役務日誌。また、当初のものからの妙写本と思われる。(甲斐史料集成)

勝山記

勝山記

別名「妙法寺記」慶長頃の最古写本が南都留郡勝山村の富士御室浅間神社に伝わったことから「勝山記」という。現存本は前後を欠くが、私年号の師安元年(564)より永禄2年(1559)までの記事。異本も多くあり、とくに「妙法寺記」系のものとは異同が多い。内容は河口湖を中心にした富士山麓の年代記。地域の政情や世相、物価や怪異現象などが記されている。筆者については日蓮宗寺僧の書き継ぎとされている。

向岳寺

塩山向岳禅庵少年代記

向岳寺の歴代住職が書きついた年代記。原本は紛失し、現在は江戸中期頃に書き写された袋綴56丁の写本が所蔵されている。永和2年(1376)から明和6年(1796)までの役400年間の記事。すべて同筆であることと、記載内容の簡略性などからある段階で編集整理し、書き写したものとされている。

恵林寺

恵林寺領検地帳

恵林寺は元徳二年(1330)、二階堂道温が夢窓疎石を招聘して創建した臨済宗寺院である。信玄の菩提寺に定められ、あつく保護されていた。信玄は寺領安堵の前提として、永禄6年(1563)10月に同寺領の検地を実施した。現在も「恵林寺領検地日記」「恵林寺領諸納物帳」の2冊の原本を所蔵している。一筆ごとに所有状況や年貢高ほかを明記している。

一蓮寺

一蓮寺過去帳

一蓮寺は時宗寺院で、正和元年(1312)に武田一族の一条氏によって朔日上人を開山として創設された。もとは一条小山の地にあり、甲府城の建設時に現在地へ移転した。過去帳は二冊であり、僧尼に分けられている。歴代住職・武田家歴代を特記し、ついで南北朝から江戸初期にわたって関係した檀徒の阿弥号・没年月日・俗名が記され、行間に一部の合戦記事の書き込みがある。

加沢記

上野沼田藩士の加沢平次左衛門が、江戸初期に藩主である真田家の上野国内における事跡をまとめたもの。戦記物の体裁をとっているが、実録性の強い記録。随所に確かな関連文書を掲載している。永禄期の真田氏の西上野攻略戦から、天正18年(1590)の秀吉による沼田領裁定までが記述されている。武田氏による上野支配に関する基本史料。

真田家文書

信濃の豪族で戦国期には3代にわたって、武田家重臣として信濃先方衆の先頭に立った真田家に残った古文書。原本は戦後、長野市に寄贈され、真田博物館所蔵。判物・書状を中心とした家伝文書。総数は1700余である。数度の火災のため戦国期武田関係のものは六点と少ないが、他に二巻の後世に収集した無題の戦国期文書集八四通も紹介されている。

諏訪上社

諏訪神使御頭之日記

諏訪上社神長官守矢家の古記録の一つ。原本一冊を守矢家で所蔵している。享禄元年(1528)から天文23年(1554)までの上社の御頭役勤仕の郷名を記録したもの。各年度の余白に、諏訪氏の記事を中心に武田氏に関するものも多くみられる。守矢氏当主の執筆とされ、信憑性の高い記録とされている。

守矢頼真書留

諏訪上社の戦国初期の神長官であった守矢頼真の自筆書留天文11年(1542)から同21年までが実在している。武田氏の侵攻とともにいち早くそれに従い、その諏訪郡での動向が記述されている。

武田信豊の起請文

武田家諸士起請文

永禄9年(1566)閏8月と翌10年8月の二度にわたって、武田領国の全家臣団が信玄に提出した起請文。現存するだけでも80余通がある。内容は信玄への忠誠を誓ったもので、これが一括して信濃小県郡の生島足島神社(諏訪神社)に奉納された。これは永禄8年に露見した嫡男義信派の謀反事件後の家臣団の動揺を防ぐためのものであり、重臣は個別に提出し、占領地の上杉地域の先方衆地侍は集団で出しているものが多く、戦国期では特異な例である。当初は全家臣団に近いものがあったと思われる。

甲斐国志

甲斐国の代表的な地誌。文化11年(1814)に甲府勤番支配であった松平定信が幕命をうけて完成させた。編纂に8年を要し、基本史料の収集を徹底させた。明治以降も何度か公刊されているが、底本や校定が悪く善本は少ない。編纂時の史料も関係者の内藤家に残されている。

王代記

もと山梨市の窪八幡神社の別当上之坊普賢寺に伝わったもので、同寺住僧らが代々書き継いだものとされている。現在は和装袋綴四一丁で、市川大門町の畑川家所蔵である。冒頭には「王代記」とあり、その下に大永四年卯月九日に書くとの注記がある。前半は歴代天皇の略記であり、いわゆる「皇代記」。後半は「年代記」として、甲州に関する記事も散見するようになる。年記と干支のずれや、明らかな誤記もあり、本格的な書誌的研究はなされていない。

北条五代記

北条五代記

田原北条氏五代の実録を後世にまとめたもの。著者は三浦浄心ともいわれ、江戸時代初期には10冊本が成立していた。「慶長見聞集」などを参考に書かれており、内容には誤記も多い。武田関係の記述も多くみられる。「史籍集覧」に載っているが、「北条史料集」収録のものが注も多く使いやすい。

北越軍記

「北越太平記」ともいわれ、越後上杉謙信・景勝二代の軍記をまとめたもの。寛永20年(1643)に雲庵が著作したとの序文がある。兵学者の著作と思われ、軍事的な立場からの記述が多い。武田氏との川中島合戦については詳細で、後世の軍記が多く参考にしている。しかし、地名・人名や事実関係の誤りも多いと指摘されている。

北越軍談

越後上杉氏関係の軍記。全五一巻からなり、序文で元禄11年(1698)に駒谷散人郁が著述したことが明らかであるが、著者の素性は不明。長尾上杉氏の軍記が中心であり、川中島をめぐって武田の記事も多く信玄と謙信の一騎打ちを記述している。

■為和集

冷泉為和の歌集。為和は公家で戦国期の歌人であった。享禄初年に戦乱を避けて知行地のある駿河に下向し、今川氏の庇護を受け、氏親らに歌道を指南した。信玄の招きで甲府へも来ている。歌集には二一二八首が収録されており、その詞書きに詠んだ場所と日時、さらには若干の日誌的な記事がみられる。