.
+
ゴルフ映画と文化
塚田三千代
©2017. m.tsukada.
I 『グレイテスト・ゲーム』を見れば、英米のゴルフ文化がわかる
時代は1913年、イギリスの大型客船タイタニック号が処女航海で氷山に衝突して沈没(1912.4)した翌年であり、第一次世界大戦(1914.7)の始まる1年前。第18回全米オープン・ゴルフ大会がマサチュセッツ州ザ・カントリークラブ・メインコースで開かれることになった。当時は今とは違い、ゴルフは上流階級の楽しむスポーツとされていた。その時代(1913年)の全米オープンが米国ゴルフ史上の伝説的な話題として、今も語り伝えられる所以は、無名の青年フランシス・ウイメットが著名なプロを負かして優勝したからである。このようなことは今では決して珍しい事ではないが、当時はこれは想像を絶することであった。
大会開幕の事前から、イギリス陣営では、大英帝国王のもとにトロフィを持ち帰れと、ノースクリフ卿や英国紳士たちがハリー・バートンに檄を飛ばす。一方のアメリカ陣営は、昨年の優勝者でディフェンディング・チャンピオンとしてマクダーモットが、「絶対にこのカップをバードンには渡さない」と開会スピーチで気炎をあげた。英米有力新聞は大会を盛り上げるためにマスコミ報道を3か月も前から始めていた。英国紳士“ジェントルマン”のトロフィ奪還を政治的に利用しようと企てる様子を垣間見できるシーンがある。当時のゴルフ界は英国帝国主義で進められていたことが、ノースクリフ卿とバードンの会話から顕わに見てとれるのである。
当時はゴルフ競技への一般市民の関心は低く、ゴルフは上流階級の楽しむスポーツだから労働者階級には無縁と思われていた。しかし、大会開催地ではグリーン手入れや植栽、キャディ雇用が増加し、ゴルフクラブやボボール、手袋や服飾品、プロマイド写真やチラシ販売の拡大などで大会関連の仕事が増える。本大会の開催地ボストンは大いに活性化したことは見逃せない。
格差社会のゴルフは金持ちの遊びだから息子には教育と労働を、これを信条とする父が息子のゴルフ熱に小言をいう。しかし息子は父の忠告を無視して、夢とチャンスを求めて試合に出場する。アマチュアゴルフ大会と全米オープン予選通過後、父が提言して息子に約束させる場面がある。
ウイメットはその後の進路で、生計を立てることとゴルフ競技に出場することを分けて考えるようになるが、それはこの時の父の教えが原点となったからであろう。ウイメットのこのゴルフ姿勢は米国アマチュアゴルフ誕生と普及に大いに貢献した。ゴルフ史において、彼が“アマチュア・ゴルファの父”と呼ばれる所以である。
本映画はゴルフの歴史事実に重ねて、フロスト・マーク著 The Greatest Game Ever Played Harry Vardon, Francis Uimet and the Birth of Modern Golf に基づいて映画化されているので “英米ゴルフ文化” を理解するために必見すべき映画であると云えよう。
II 全米オープン・ゴルフの起源
全米オープン(United States Open Championship)は、ゴルフの世界4大メジャートーナメント大会のひとつで1895年に創設された。プロとアマチュアのゴルファが共に競える大会である。ゴルフ競技団体の全米ゴルフ協会主催で、毎年6月中旬に開催する地区を毎年変えて実施している。U.S.Openともいう。大会は6月の第3日曜日を最終日として開催する。現在は世界4大メジャー・トーナメントの一つである。ちなみに世界4大メジャー・トーナメントは、マスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロの4大会をいう。
III 本映画に登場するゴルファーの史実関係
Francis DeSales Ouimet (May 8, 1893 – September 2, 1967) は、生涯をアマチュア・ゴルファでとおした。
本業は銀行や投資の事業家。アメリカ合衆国では“アマチュア・ゴルファの父”と呼ばれている。ハリー・バートンと共に英米の近代ゴルフの誕生と普及に大いに貢献した人物。フランシス・ウイメットはアマチュアとして全米オープン(1913)優勝と全米アマチュア(1914、1931)で優勝。1913年の全米オープンでは、バードンとレイの3人でのプレイオフで優勝し、当時の常識を変えて伝説的となった試合である。彼の試合通算スコアは+8(77-74-74-79=309)であった。10歳のキャディのエディ・ロウェリと一緒にいる彼の映像は合衆国ゴルフ協会100年祝賀祭のロゴに使われている。またその銅像はマサチュセッツ州、ブロクリンに建てられている。2年間キャディを務め終える、またはコースのプロショップで働けば奨学金を受けられる制度を作った。このキャディ奨学金は米国第2に大きい。
1997年に、The Francis Ouimet Award for Lifelong Contributions to Golf (ゴルフ生涯貢献者に贈るフランシス・ウイメット賞)を創設。この基金を毎年開かれる The Francis Uuimet Scholarship Fund’s annual banquet (フランシス・ウイメット奨学金基金の年次晩餐会)で贈呈している。この賞をアーノルド・パーマ(1997年)や、ピーター・ジャコブセン(2006年)、ジャック・ニクラウス(2007年)、アニカ・ソレンスタム(2010)も授与している。
Frost Mark. The Greatest Game Ever Played Harry Vardon, Francis Uuimet and the Birth of Modern Golf. Hyoerion. 2002.
Henry William Vardon (9 May 1870-20 March 1937 aged 66) はThe Bailiwick of Jersey 出身。全英オープン(The Open Championship)6勝(1896,1898,1899,1903,1911,1914)。全米オープン(The U.S. Open)1 勝(1900)。
バードンは全米オープンで3回(1900、1913、1920)出場した。1900年の全米オープンはシカゴ・ゴルフクラブで行われ、彼の通算スコアは313(79-78-76-80)で優勝した。
1913年の全米オープンでは、+8(Vardon shot eight-over-par, 通算304(75-72-78-79)で、テッド・レイと共にプレーオフとなった。ボストン南西のBrookline, Massachusetts にあるThe Country Club で行われた。ゴルフ界は強豪プロのバードンとレイが若干20歳のアマチュアに負けたことで大衝撃となった。
バードンはオーバラッピング・グリップ(overlapping grip)を発案。1890年中頃から1910年中頃の彼の全盛期に、一般大衆のゴルフ興味を大いに高めた。彼の銅像(Statue of Vardon)はジャージ島のロイヤル・ジャージ・ゴルフクラブ(The Royal Jersey Golf Club)に建てられている。
【文献】
・The Gist of Golf. Harry Vardon. *a golf instruction book.
・A Biography of Vardon. Audrey Howell. 1991.
・The Greatest Game Ever Player. Mark Frost.
関連映画 ⛳ゴルフ、ボクシング
映画 グレイテスト・ゲーム
映画 ティンカップ
映画 僕は飛ばし屋プロゴルファー
映画 シンデレラマン
+ + ++
©2019 m.tsukada..All Rights Reserved.